大政奉還150年に何する

皇紀2677年(平成29年)12月1日

 昭和二年の開業以来、本年十二月三十日で九十周年を迎える東京地下鐡道(現・東京メトロ)銀座線で、本日から十八日まで二つの旧駅がライトアップされます。萬世橋驛(万世橋駅)と神宮前驛(半蔵門線の開業で移転した神宮前駅)です。

 特に萬世橋驛は、昭和五年から六年の間のみ使用された「假停留場(仮駅)」で、その存在は、壮麗を極めながら関東大震災で失った旧国鉄駅の駅舎、および駅前にあった廣瀨中佐と杉野兵曹長の銅像も大東亜戦後占領統治の熱で壊してしまった今、まさに「幻の駅」と呼ばれるにふさわしいものでした。

 決して立ち入ることはできませんが、車内から光る両駅を眺め、英国倫敦に倣って東洋初の地下鉄を創業した早川徳次が私たちに遺してくれた夢と希望に思いを馳せてはいかがでしょうか。

 もしも阪急の小林一三がいなかったら、東急の五島慶太(のちに早川と対立した)が小林に見初められていなかったらと考えますと、わが国の都市風景そのものが今日とは全く異なったものになっていたに違いないのです。

皇室会議の開始時間変更 12月1日午前9時45分から

宮内庁は29日、天皇陛下の譲位日決定の前提となる皇室会議の開始時間を12月1日午前9時から同9時45分に変更すると発表した。宮内庁は「出席する議員の日程を調整し…

(産経ニュース)

 慶應三年、旧暦の十月十四日はまさに本日であり、その日こそ大政奉還がなされたのでした。つまり、本日をもって大政奉還から百五十年が経ったのです。

 その日に現世の政府は、一体「何をさらすんじゃ」と。皇室会議などという占領統治以来の出鱈目集会を平然と開き、皇族でもない連中が皇室のことを勝手に決めるとは、不敬を通り越してもう八百万の神神の怒りをかって、ただちに死ねばよいのです。

 悔しかったら朝日新聞社は、こういうことをこのぐらいに書いてみよ! 学校法人森友学園と財務省近畿財務局の国有地売却取引を安倍晋三首相批判に悪用する北朝鮮工作に加担したまま訂正もお詫びもしない売国奴の新聞には、逆立ちしてもこのような政権批判は書けまい。

 今こそ正統の皇室典範を奉還しなければならない。

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『大政奉還150年に何する』に4件のコメント

  1. 心配性:

    三橋貴明氏が、「皇室のグローバル化」の掛け声のもと、「婿入り」する形で中国共産党が皇室を乗っ取ってしまう事態を暗に心配していたようです。
    サンフランシスコ市の様な例もありますので、多くの人が心配する気持ちも分かります。
    また、天皇から皇室からアマテラスから卑弥呼に至るまで「起源」を主張する人々が婿入りしても、政治的に複雑な問題を引き起こしそうで頭が痛いです。

    韓国には、こうした「妄想小説」もあるようですが、こうした‶突拍子もない事態”に陥る事も、将来的には「覚悟」した方がよいかも知れません。

    百済書記
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E6%9B%B8%E8%A8%98

    保守派の中には、戦前の「皇国史観」のノリで日本の歴史や天皇について熱く語る方々もおられますが、仮に上記の様な事態に陥ってもなお、「大御宝」だ、天皇の赤子だと言っていられるでしょうかね?(たぶん、無理でしょう。)

    何度も申しますが、「国民統合の象徴」としての皇室の役割は、既に終わりを迎えたと思っています。
    今後皇室は、細々とその伝統が続いて行けばそれでよいと思っています。

    先日、私は時々、ただの「日本語族」の言語を話す者か、縄文の末裔か、黒潮の民の末裔とでも思うようにしていると申しました。
    この国を取り巻くレジームにも、変な政治にも、多くの人々が「沖縄などは独立すべきだが、日本と韓国の心臓は一つ。永遠に兄弟姉妹の様に歩み続けねばならぬ」と脅迫的な考えを持っている事にもうんざりしているからです。

    私は、年を取って寿命が尽きたら、悠久の歴史という名の「太河」の一滴となって静かに流れ行き、数千年、数万年前のご先祖様に出会って、あの世で美味しい日本酒など酌み交わす事を、今から楽しみにしています。
    時々そのように「現実逃避」せねば、日本人など苦痛でやっていられません。

  2. きよしこ:

    政府が何をしたのかということを自分なりに例えてみますが、音楽バンドのボーカルを、メンバーでもファンでもない一般人が「本人が何も言わないのをいいことに強制的に脱退させる」ということでしょう。どれほど罰当たりで筋違いで傲慢なことか誰でも理解できるはずです。しかし、こと皇室に関する事案となるとまるで占領典範の申し子であるかのように何となく「退位が望ましい」という雰囲気に容易に流されてしまうのが不思議でなりません。せめてもの救いは多くの国民が陛下に対し「穏やかに過ごしてほしい」と願っていることでしょうか。それにしても普段は何でも安倍政権に反対する連中は、なぜ今回に限っては反対どころか進んでサポーターのような役割を買って出るのでしょう。まさしく百害あって一利無しの存在でしかありません。

  3. やす:

    大政奉還とは「お前らに俺達徳川幕府よりうまく政治ができるものならやってみろよ」という意思表示ですよね
    じゃあ俺達がやってやるわいとなったのが安部総理のご先祖様で、結局それが今の間違った日本を作るキッカケとなったと私は思ってますしその最たるものが大東亜戦争の敗北でしょう
    ハッキリ言って日露戦争ぐらいまでは江戸時代の延長みたいなもので、それ以降明治生まれの人間が大半を占めるようになってどんどん日本の劣化が始まったのは確かです
    明治天皇もそのことは危惧していたようで、幕末生まれの人がいなくなったら日本は駄目になると考えていたようです
    つまり薩長は徳川より政治が下手だったということなんですが、その末裔が今の総理大臣というのも皮肉な話で、リベラルなのは150年たっても変わってないと思います
    薩長政権がやろうとしていた近代化もハッキリ言って徳川慶喜がやろうとしていたことのパクリであり、薩長だけが近代化を目指していたというのは嘘です
    つまり明治維新は今も終わってないということで、その中心である薩長の末裔である安部総理が皇室を私物化しようとしているという、どこまで薩長は日本を破壊すれば気が済むんでしょうか
    徳川から強引に政権を分捕った政権を奉還することで本当の意味で明治維新を終わりにすることが急務ではないでしょうか
    政権交代という意味ではなくて、例えば徳川家の末裔であったり本来生まれながらにそういう役目をもった人間はいると思ってますので、そういう人間に政治を託すべきで、ハッキリ言って今の政治家にその役目を持っている人はほとんどいないと思います
    おかしなことを言っていると思われるかもしれませんが、人にはそれぞれ生まれながらに役目があると思います
    役目がない人間が政治をやるからおかしくなるわけで、天皇陛下は天皇家に生まれた人間にしかその役目を果たせないのと一緒です

  4. アンチレッド:

    天皇陛下・皇室について、考え・思いは色々あるかも知れないが、やはり2677年という長きに渡って続いてきたということに大きな意味があると思う。
    さらに
    ・神話という永久不変のものとつながっている実体としての存在。
    ・それ以上、上になる者がいない最上位の存在。
    ・世俗と一線を画した存在。
    ・行動原理が私利私欲ではなく、国家・国民の安泰を願う存在。

    これらから想像される天皇陛下の存在の意味は、永久不変の何か原器的なもの、言ってみれば道徳原器といった感じです。

    人の道があるとして、その中心が道徳で、両端が法律ではないかと思います。
    こうすると、天皇陛下が道の中心を決める基準=道徳原器で、そこから時の権力者・立法府が道の両端として法律を作る。
    実際法治国家において、権力とは基本的に法律でしょう。

    このように考えてみれば、皇室のグローバル化など論外です。グローバル化など世俗の最たるものですから。

    この状態から天皇陛下という存在が無くなったらどうなるか、考えてみればその存在の重みがわかるのではないかと思います。
    為政者が変わるたびに人の道の中心が左右に大きくブレたら、安定した国家・社会など無理でしょう。
    これはシナの歴史がその実例になるのではないかと思う。

    戦後、占領憲法・占領典範で、皇室が世俗化されてしまったことが、日本・日本人をおかしくしてしまった可能性は高いと思う。