韓国は竹島強奪を諦めよ

皇紀2677年(平成29年)1月23日

 米政府は、連合国(俗称=国際連合)の潘基文前事務総長の実弟である潘基祥被告(米司法当局が贈賄容疑で既に起訴)を逮捕するよう韓国政府に要請し、身柄の引き渡しも求めましたが、かつての判断基準により発展途上国から選出するポストを都合よく韓国人に与えたことを、どうやら心底後悔しているようです。

 韓国国内でいわゆる「不可逆的日韓合意」をも反故にしてしまおうとする妄動は、米国のドナルド・トランプ大統領が「強い米国」を掲げる以上、米韓同盟を打ち捨てるはずがないと踏んでのことかもしれません。

 つまり、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島にまで謎の妓生像(俗称=慰安婦少女像)を置いて日韓間の約束を破り、たとえ日本政府が抗議したところで、またも日韓関係の修復を日本が米国に求められると妄想しているのでしょう。

 しかし問題なのは、韓国国民が総出で朴槿恵大統領を機能停止させてしまったがために、ビジネスマンで即断即決のトランプ大統領に先手必勝の交渉ができません。それができるのは、わが国の安倍晋三首相のほうだったのです。

 だからこそ政府は、一時帰国させている長嶺安政駐韓大使の帰任を先延ばしにし、まもなく日米首脳が日米韓関係(韓国をどうするか)について話し合うのでしょう。

 http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012100141&g=……
 ▲時事通信:JOCが修正求める=平昌五輪HPの「独島」表記
 http://www.asahi.com/articles/ASK1P3JMJK1PUTQP00W……
 ▲朝日新聞:「独島」の表記、JOCが修正求める 平昌五輪のHP

 そこで、この二つの記事を読み比べてみてください。時事通信社は「島根県の竹島が『独島』と表記されていることについて」と書き、朝日新聞社は「日韓両国が領有権を主張する竹島が韓国名の『独島』と記載されていることについて」と書いています。

 正解に近いのは時事の記事であり、朝日のような書き方をするから私たち国民の中にも「竹島はわが国の領土」と答えられない人を生むのです。韓国こそ竹島をめぐるたくらみを諦めるべき、と明言できるようになりましょう。

 政府はこれまで、日米韓関係に束縛され、韓国の武装警察らに不法占拠された竹島の奪還を見送ってきましたが、米韓同盟よりも日米同盟がその実体を有して(トランプ大統領も求めるであろう日本の自立をもって)重要になれば、米政府がわが国に竹島奪還を止める必要はなくなります。あくまでわが国の問題として自由に解決してよいことになるのです。

 読み誤るのは、果たして韓国人たちのほうか、それとも私たちのほうか、それが直近の日米首脳会談にかかってきます。安倍首相は、中共共産党の暴走と没落の問題に加え、日米が韓国を捨てるための交渉をうまく進めねばなりません。

 それができなければもはや私たちは、永遠に韓国の約束破りに振り回され続け、何度でも謝罪させられる地獄へと落ちることになります。今は政府に尽力を求める時です。

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『韓国は竹島強奪を諦めよ』に1件のコメント

  1. 心配性:

    左派政権の盧武鉉政権時代、「歴史戦」(という名のヘイトスピーチ)の範囲は、近現代から古代にまで及んでいました。

    この時期、盛んに「天皇は百済人」だの「倭国は百済の植民地だった」だのとおかしな宣伝がなされ、旧民主党の男性議員の中にはそういったプロパガンダを真に受ける方もいたようで、当時ブログか何かで「国民に真実の歴史を教えなくては・・・」と意気込んで、ネットユーザーたちに苦笑されていたように思います。(お名前は忘れました。)

    次回のNHK『歴史秘話ヒストリア』では、以下の話題が取り上げられるはずです。

    群馬)よろい着た古墳人、長野から移住? 渋川の遺跡
    http://www.asahi.com/articles/ASJ3J4R2SJ3JUHNB00P.html

    半島情勢の変化などを睨み、古墳時代の倭国は‶富国強兵”や技術革新に努めたようです。
    女王卑弥呼の時代には既に僅かながら馬がいて、馬の世話係もいたのではないか?との説もありますが、古墳時代に入り、本格的に「馬」の飼育が行われるようになります。
    長野や群馬にも、ヤマト王権の支配下で、当時最先端であった馬の飼育に励む‶高度人材”的な外国出身者が多くいたようですが、こうした事を理由に、また何らかの政治的な理由により、「騎馬民族征服説」を唱える外国人が後を絶ちませんでした。

    個人的には、古代の渡来人は、言われるほど多くは無かったのではないか?と思っています。
    百済や高句麗の滅亡、白村江の敗戦による「難民」(敗残兵)でさえ、トータルで最大でも3~4千人程度ではないかと思っています。
    亡命者が、万単位で怒涛のように押し寄せた事を証明するものが何も無いからです。