地獄化したドイツに倣うな
http://www.sankei.com/world/news/160819/wor160819……
▲産經新聞:ドイツで運転席や学校でのブルカ禁止へ 「身元確認が困難」「女性蔑視の象徴」
目下欧州の混乱は、独国のアンゲラ・メルケル首相が目指した「理想」によってもたらされ、取り返しのつかないところに差し掛かっています。
わが国ではほぼ報じられない独国内の荒廃が進み、女性が表に出られないほどの凌辱的事件が移民・難民によって引き起こされ、さまざまな人間の融和とは真逆の「分断」が始まりました。
隣国のオーストリア(墺国)でも回教徒女性のニカブやブルカを禁止する提案がなされたぱかりですが、仏国やベルギー(白国)では既に禁止されています。その理由は、やはり欧米的価値観による「女性差別」という指摘であり、これらがむしろ女性を守るためのものであることなど全く無視されたままです。
そして、皮肉なことに、欧州人が忌み嫌いだした回教系の男性移民や難民たちが欧州女性を性的に暴行する事件が多発しました。このことについて、私が申したかったことを以下の記事がほとんど的確に指摘しています。
http://jp.wsj.com/articles/SB10153442616204504109……
▲ザ・ウォール・ストリート・ジャーナル:【寄稿】同胞を見捨てる世界のエリート
この記事を寄せたのは、米国の作家であるペギー・ヌーナンさんですが、メルケル首相の知人から聞いた話も絡めながら、極めて正確に現在の独国の惨状を言い当てています。
つまり、移民・難民の大量受け入れを決断したメルケル首相や報道各社らは、それによって或る日突然発生する壮絶な問題の数かずをごく普通の人びとに全て負わせ、自分たちは一切影響を受けず、今後も受けないというのです。
よって涼しい顔の権力者たちを尻目に、労働者階級や中産階級が驚いて反発すると、彼らが「外国人嫌いの偏狭な人種差別主義者」のレッテルを貼られ、社会から遊離したような連中が「人道主義者で思いやりがあり、人権のヒーロー」と言われる構造をも見事に指摘しています。
私は以前より、移民大量受け入れ政策を「人権問題」と規定し、先進国が発展途上国を占領して搾取する前世紀型から発展した「新世紀型植民地政策(発展途上国から先進国へ人間を物のように輸入する政策)」と呼んでいるものは、わが国でまさに始まろうとしているのです。
もはや地獄と化した独国は、たとえ欧州連合(EU)を離脱するとしても安全な投資先として英国の代わりになりえません。決してわが国が見習ってはいけないこの「理想」という「悪魔の誘惑」に、メルケル首相はそそのかされてしまったのでしょうか。
安倍晋三首相に対し、人口動態の不安から労働力確保のための移民推進を誘惑する声がかけられています。それが最も日本の荒廃を招くと、私たちは勇気をもって主張しなければなりません。
皇紀2676年(平成28年)8月20日 3:33 PM
日本は、近い将来必ず難民・移民を受け入れます。
しかも10万~100万単位です。
彼らは定住を進め、その後何世代にも渡って日本に住む事になるでしょう。
そして、世界もそれを望むでしょう。
日本政府も「少子化の有効な解決策」だと国民に説明するでしょう。
シリア難民ではなく、朝鮮難民の事ですが。
いずれにせよ、「朝鮮戦争や南北分断の責任は日本にある。全ての責任は日本が負うべし」といった‶デマ”に頷いて、限界を超えて、あらゆる責任を引き受けようとしてはいけません。
その昔、小中学生相手に塾の夏期講習のバイトをした事があります。
その時、一回り以上年上の英語の男性の講師が、休み時間に、「騎馬民族征服説」だの、「万葉集古代韓国語説」だのを子ども達に説き回っていました。
Amazonなどで書籍を検索すると、万葉集は古代韓国語で書かれたとか、詠まれたとか、そういった本が結構あります。
韓国では、いまだに、『万葉集』を「古代韓国文学」と見做し、研究しようとする人たちが沢山いるようです。
『万葉集』は、奈良時代に成立しましたが、仮に「古代韓国語」とやらで書かれたとして、なぜ現代の日本語に「古代韓国語」の影響が殆ど見られないのでしょうか?
奈良や京都など関西弁にもその影響は感じられません。
たった千数百年で、痕跡もとどめない程言語が変容する事はまずないでしょう。
現代どころか、平安時代の「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」ですら、全く「韓国語」の片りんを感じる事はできません。
学校の教師や塾講師が、授業の合間や休み時間に、しばしばこうした「都市伝説」を刷り込むのは良くないですね。
こうした「都市伝説」の刷り込みや積み重ねも馬鹿にはできず、いつの間にか「私たちは兄弟姉妹の様な‶特別な関係”なのだから、半島の面倒をすべて見なければ・・・」といった強迫観念にもつながって行くでしょう。