「報道しない自由」…か

皇紀2673年(平成25年)3月20日

 http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013031501002293.html
 ▲47NEWS(共同通信):韓国、竹島質疑を「報じるな」 日本記者団に

 韓国の尹炳世外交通商長官は十五日午後、わが国報道各社との会見後、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島に関する質疑応答がなかったように報じるよう圧力をかけました。

 共同通信社は、記者団がこれに断固として応じなかったように報じていますが、ならば本当に広く私たち国民の知るべき情報を常に伝えているかと言えば、決してそうではありません。

 現にこの間にも中山成彬衆議院議員による予算委員会での重要な質疑応答(内容はこちら)を全く報じていないではありませんか。或いは、石原慎太郎東京都知事(当時)による「占領憲法(日本国憲法)は無効である」との見解も、沖縄県石垣市尖閣諸島の都購入についてのみ取り上げて一切報じませんでした。

 新聞社は紙面の限界、放送局は時間の限界を言い訳にするのでしょうが、広く国民の知るべき情報とそうでないものの精査も出来ないようでは、報道としての値打ちがありません。すなわち「下手」なのです。

 いえ、下手というより「意図的」と指摘すべきでしょうか。つまり何らかの「報じない意図」があって、それは「報道の自由」の裏返しに「報じない自由」の行使があるからです。私たちはそれを熟知した上で、報道そのものを精査しなければなりません。早い話が「見ない」「買わない」というやつです。

 特に事件報道では事実と違う内容も多く、しかし私たちは報じられたものが事実であり重要なことであると思い込みます。そして、もっと知るべきを知らないまま「政治に関心がない」などと言っているうちに「知らなかった」と大騒ぎさえしてみるわけです。

 環太平洋経済連携協定(TPP)についてもそうですが、十四日記事で私が申したように、既に関税に関する交渉は終了しました。安倍晋三首相が「いつやるの? 今でしょ」ばりに交渉参加を表明しても、もうその余地などほとんどありません。

 米国の連邦議会(参加に関しての決定権を持つ)がわが国の交渉参加に懸念を示したことと併せ、これはまだ一部で報じられているだけ上等なほうですが、報道各社の割くべき紙面と時間の配分が明らかにおかしいのです。

 彼らが報じないことを広めていくには、私たちが主としてこの三年間各地で話し続けて「占領憲法は昭和二十七年四月二十八日に有効期限が切れている」との憲法認識が護憲・改憲に割って入り始めたように、話し伝えていくしかありません。私は皆様と共にそう自負しています。

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『「報道しない自由」…か』に1件のコメント

  1. 普通の日本人:

    「報道しない自由」ですか!ならば、報道機関は、「公共」機関の「公共」という言葉を返上して、お金にがめつい、「私企業商業」機関だから偏向するのも「自由」にさせていただきますと堂々と宣言なされば宜しいでしょう。