直言! 体罰と教育と暴力

皇紀2673年(平成25年)2月12日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt130209……
 ▲産経新聞:「体罰全否定して教育はできない」伊吹衆院議長
 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/95907/
 ▲東京スポーツ:星野監督が「体罰問題」を語る

 大阪市立桜宮高校で起きてしまった運動部所属生徒の自殺に接し、大阪市の橋下徹市長が感情的な対応を煽って以来、女子柔道五輪代表選手たちの告発もあり、報道各社は体罰と暴力を混同して報じています。そして、「体罰は暴力である」との前提で集団心理が形成され、体罰と教育の言論はほぼ完全に弾圧されました。

 特に某元野球選手が体罰を否定したことで、教育的体罰と暴力の違いは論じられなくなり、生徒の自殺や女子柔道選手たちの涙の訴えという現実がますます私たちから冷静な本能論を遠ざけ、扇情的理性論に近づけています。

 そのような中、野球界に於いて中日や阪神の監督を歴任した星野仙一氏は勇気をもって語られました。また、衆議院の伊吹文明議長(元文科相)も批判を恐れずよく語られたものです。

 しかし、立法府の長が立法に関する私見をあまり披露なさらないほうがよいでしょう。体罰問題を政治家がどうにかすると言うのなら、わが国の法のあり方をよく見直すべきです。政治家個人の教育に関する持論を伺っても私たちにはあまり意味がありません。私も本日は敢えて経験談を封印します。

 さて、体罰とは「教育を目的とした有形力の行使」です。これを禁じたのが占領統治期に施行された学校教育法(昭和二十二年)の第十一条と文部省(当時)初等中等教育局長通達であり、言い換えれば医師が治療を目的とした有形力の行使、すなわち手術で執刀することを突然禁じられたようなものに他なりません。

 これでは当然医師は患者を治せませんが、占領統治軍は教師に児童・生徒の間違いを正すなと言ったわけです。いえ、人格形成途上の教育に身体的内容を含む懲戒以外の手段は勿論あります。医師が投薬だけで患者を直せるのと同様、教師が口頭だけで児童・生徒を正すこともできましょう。

 ところが、もし重篤な症状であった場合はどうしますか。医師は手術の同意を得て執刀するでしょう。つまり、教師は体罰の同意を得て例えば頬を叩くといった教育を施せるはずなのですが、その「同意」が学校教育法によって存在しません。法による同意がないから教師と児童・生徒、または保護者との信頼関係がなく、教師個人の暴力行為(医療で申せば必要のない手術を医師が医療費等目的で執刀するような行為であり、医療過誤とは違う)が隠然たる「教育権力」によってかえって隠蔽されるのです。

 ということは占領憲法(日本国憲法)と同様、占領統治期制定のこの法律と勝手な官庁通達に問題があるのは明白であり、国会議員は教育論云々でなくあくまで法と行政の議論に集中してください。それが目下吹き荒れている扇情的理性論を跳ね除け、或いは歪められた集団心理から教育現場を解放する唯一の方法です。

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