小津安二郎と日本人

皇紀2669年(平成21年)11月29日

緩慢な「家族」の崩壊

 皆さんは小津安二郎監督の映画をご覧になったことがあるでしょうか。小津監督は、私の尊敬する映画監督のうちのお1人(ほかに伊丹十三監督ら)なのですが、黒澤明監督や溝口健二監督と並んで国際的評価の高い日本人映画監督でした。特に欧州での人気は未だ健在です。

 そんな小津ファンとして有名なのが『ベルリン/天使の詩』などのヴィム・ヴェンダース監督(独国)であり、小津研究の第一人者が(伊丹監督とも交友がありながら『お葬式』を酷評して去った)東京大学の蓮實重彦元総長でしょう。

 もちろん私はここで、イマジナリーラインを超えたローアングルの、50ミリレンズで画を切り取ることに固執した小津演出(戦後全作品のキャメラマンは厚田雄春氏)を深く語るつもりはありません。『大人は判ってくれない』などのフランソワ・トリュフォー監督(仏国)をも虜にした小津映画に、保守主義の基本哲学とその滅びの警告を読み取ることができる、と申したいのです。

 私が中学生の頃、初めて観た小津映画が『お茶漬けの味』(昭和27年)でした。ここでは、小津組で知られる笠智衆さんがパチンコ屋の店主を演じており、彼は言います。「こんなものが流行る世の中はイカンですよ」と。当時は今ほど事実上違法な賭博産業が幅を利かせてはいませんでしたが、小津監督は既に気づいていたのです。

 そう言えるのには根拠があります。小津監督の戦後復帰作は『長屋紳士録』(昭和22年)ですが、彼は決して一度たりとも焼け野原を撮りませんでした。むしろ復興してゆく日本を切り取り、そこには工場の煙突や、いくつものビルディングの壁面が重なるショットを収め、極めて早い段階からお茶の間にテレビセットを置いてみせたのです。

 小津映画に日本の原風景を求める方は多いですが、彼が今もなお映画監督であり続けたなら、臆することなく新宿歌舞伎町や渋谷109の周辺、六本木ヒルズなどを撮り収めたことでしょう。小津映画の真骨頂は、そうした物質的豊かさの向上と反比例して緩やかに瓦解してゆく日本人の心を描いたことに他ならぬ、と私は思うのです。

 最も有名な作品とされる『東京物語』(昭和28年)で、笠さんと東山千栄子さん演じる父と母を、厄介者扱いする子どもたち山村聰さんや杉村春子さん)の「個人主義」全開なさまは、まさに戦後「国民主権」の毒がまわった日本人の姿であり、さればこそ原節子さん演じる、戦死した次男の嫁の佇まいが美しいのです。これは是非ともご覧下さい。

 昨日、私は或る新聞社記者の方の貴重なお話を伺いながら、わが国は大日本帝国より3度に渡る文化の隔絶があったと感じました。それは、日清・日露戦争期と大東亜戦争期、そして占領統治(戦後)期です。その都度確実に「日本人が当たり前にできたことができなくなり、さらに当たり前の存在さえ忘れられた」のではないでしょうか。

 民主党のやろうとしている子ども手当などが、ことごとく個人支給の形態をとっていることは、緩慢に崩壊しつつある家族を完全に引き裂くことであり、極めて軽い存在と化した日本民族から「大和魂(大いなる和をもって尊ぶ精神)」を取り除く政治です。

 これでは日本列島をとりまく自然環境を生き抜くことができません。わが民族が古代の平定によって「大和」を名乗ったのは、大いなる和なくして猛暑や台風、積雪、地震、火山噴火、津波を生き延びられなかったからでしょう。日本の日本たるゆえんを否定することは、すぐにでも死につながることなのです。

 そうしたとき、私たちは小津監督の遺した映画作品から「家族崩壊」の警告を受け取り、国家社会の再興を誓わずにはいられません。日本のいかなる出身地を問わず誰もが皇室を指せば自らの祖先が皆と同じそれと分かることこそ、本当の平等であり、その生命の連繋なくして個人の存在などないのです。

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『小津安二郎と日本人』に3件のコメント

  1. 天晴れ:

    文化の隔絶は、日清・日露後に台湾人や朝鮮人を日本国民としたことと、大東亜戦争前の満州国建国の影響が大きいと思いました。人の出入りもありましたし、考えや習慣や情念といった目に見えないものの出入りもありました。日本人引き揚げ者の肩に乗って大陸の霊が日本列島に入り込んだような気もします。敗戦後日本の立場で歴史を語ることがはばかられてきたせいで自覚がし難く自分も最近になって気づいたのですが、文化的な面で日韓併合や満州国が日本へもたらした影響はとても大きいと思います。

  2. knnjapan:

    ■おしらせ■ コメント欄の表示などについて、皆さんにご迷惑とご心配をお掛けし、申し訳ございませんでした。 再度執拗に私へのののしりを書き連ねていた人物が先日、自ら名乗りました。この方とは以前にかわした約束がありましたが、私がその場で毅然とご説明し、快諾されたことなどなかったことにされ、すっかり約束自体を反古にされましたので、これでおつきあいは終了です。今後一切口をきくつもりはありません。ここから今すぐ出て行くよう要請します。二度と来ないで下さい。

  3. こうた:

    小津映画には、日本の四季の風光明媚や万葉集、古い神社仏閣に触­れた時と似たような「日本に生まれてよかった」としみじみ感じる­ものがあります。小津は、背後で町を歩くエキストラに対しても背筋を­ぴんと伸ばして姿勢よく歩くことを求めました。音楽もすぐれた人格者­の作曲家に依頼したそうで。背景も実にすがすがしいものばかりです。­日本の良質なものを丹精に集めて魂をこめてつくられた映画である­ことがわかります。「秋刀魚の味」の最後の場面では、愛する娘が嫁い­だ夜に父親がその喜びと寂しさに一人で耐え、人間の孤独さと暖か­さが深く描かれており、小津映画の永遠性を再認識しました。小津など­を見て思うのは人間の教養というか知性なんていうもの不思議さで­す。小津は大学などへは行かなかった。逆にもし小津が大学へ行­って妙な知識を身につけていたらあれだけの作品がつくれただろう­かと思うことがあります。