40日抗争再来?やってみろよ!
第二十九代総裁を選出した自民党総裁選挙は、党員・党友、各都道府県支部連合会(都道府県連)の投開票も行ったものであり、小泉進次郎候補の陣営による「高市票の消し込み」疑惑はあったものの、不正選挙で小泉氏が選ばれたのではなく、消し込まれても高市早苗新総裁が選ばれたのですから、船田元氏(栃木一区)のようなことを言う議員は、党の支持者を完全に莫迦にしたものです。
よもや国会の首班指名で「石破茂」だの「野田佳彦」だのと書くなら間違いなく除名処分ですから、堂堂と離党すればよろしいでしょう。
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自民党がこのような混乱に陥るのは、決して初めてではありません。昭和五十四年のいわゆる「四十日抗争」の挙げ句、国会の首班指名までもつれ込んで大平正芳元首相と福田赳夫元首相が争い、野党欠席の中、わずか十七票差で大平首相(当時)が再選されました。
大平内閣も田中角栄元首相の影響力から「角影内閣」などと揶揄されましたが、この争いののち、野党の日本社会党が提出した内閣不信任決議案に「福田支持」の自民党議員がまさかの採決を欠席するという形で可決させてしまい、これで結果として大平元首相が急死する衆議院議員解散総選挙へと突入したわけです。
因みに、この四十日抗争の最中に生まれたのが浜田幸一元衆議院予算委員長(大平支持)による「(党本部内にバリケードまで設置して立てこもった福田支持派に対して)いいか! 断っとくけどな、かわいい子供達の時代のために自民党があるっちゅうことを忘れるな! お前らの為にだけ自民党があるんじゃないぞ!」という名言でした。
この際に浜田議員が「貞則でも何でも連れて来いよ!」と言ったのも覚えていますが、福田支持の強硬派だった山中貞則元通産相の地盤をそっくりそのまま引き継いで当選したのが森山裕前幹事長(鹿児島五区)です。
しかし、当時の選挙制度は、一つの選挙区内で「自民2、社会1、共産1」といった投開票結果が出る中選挙区制でした。議員選の時点で既に党内の権力争いは常であり、それと現在の小選挙区制とは全く違います。
国会議員が「小粒」化した原因と目される小選挙区制は、すなわちこうした政策や政治手法の違いに端を発した権力闘争を経験しないためであり、浮ついた「脳内お花畑」でも議員になれてしまうようでは、やはり中選挙区制に戻すべきです。
しかしです。しかしながら現在の小選挙区制で自民党が党内抗争を繰り広げている場合ではありません。私たち国民から見て、一選挙区から一名しか選べないにもかかわらず、候補者の所属政党内がバラバラでは議員を選びようがなくなるのです。
だからこそ保守派と対日ヘイトスピーチ(憎悪差別扇動=反日)みたいな左翼が混在して極端に左傾化した自民党が国民に嫌悪され、立憲民主党ら左翼野党、そして創価学会公明党と共に先の参議院議員選挙で敗れたのではありませんか。
そうした国民の選択と、党員・党友、地方の声を無視して四十日抗争の再来のようなことをすれば、今の自民党は終わるということを、すべて所属議員に厳しく自覚していただきたいのです。自民党が終わるのは「好きにすれば」であっても、わが国の政治空白はこれ以上、私たち国民の認めるところではありません。