高野連と朝日新聞は腐っている!

皇紀2685年(令和7年)8月10日

広陵野球部で浮上「別の事案」第三者委調査は年内に結論か 元部員の申告内容もSNS拡散

5日開幕の全国高校野球選手権大会に出場し、1月の部内暴力で日本高野連から厳重注意措置を受けた広陵(広島)が元部員から別の事案も訴えられている問題で、学校側の設…

(産經新聞社:産経ニュース)

 SNS上で問題発覚した五日以降、もはや手がつけられないほどの騒ぎになっている広陵高等学校(広島市安佐南区)野球部の性暴力事件。全国高校野球選手権大会を主催する日本高校野球連盟朝日新聞社の対応は、信じられないほど子供たちに対して残酷でした。

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 被害生徒のご家族によりますと、朝日新聞社らはまるで相手にしてくれず、産經新聞社が広陵高に突っ込んで取材し、ようやく学校側が暴力事件の事実を認めたという経緯です。

 その被害内容は、口に出すのも憚られるもので、私はついぞ、昭和五十九年十一月に発生した大阪産業大学付属高等学校・虐め報復殺人事件を思い出しました。二人の同級生にとんでもない性加害を繰り返した生徒会長(当時)が二人の報復に遭い、鈍器で頭部をグチャグチャにされて大阪市北区内の大川へ投げ捨てられ、殺害されたという事件です。

 高校側は当初、虐めを否定しました。しかし、大阪府警察の捜査によって隠し切れなくなり、当時の校長が処分されましたが、その二人から何度も虐めの相談を受けていたにもかかわらず「生徒会長がそんなことをするはずがない」と取り合わなかった担任教師がなぜか処分を免れたそうです。

 虐められていた部員に口封じを計った広陵高野球部監督の中井哲之氏は、過去にも問題を起こしていますがその地位を追われていません。学校内で何か(力関係)があるのでしょう。

 野球に打ち込む高校生たちに用意された晴れ舞台は、今や高野連、朝日、学校、そして春の大会を含めれば毎日新聞社といった大人たちの利権の場に成り下がっています。

 虐めにも喫煙や飲酒(つまり違法行為)にも何ら関わっていない生徒たち、或いは純粋に応援している大人たちを、今大会に広陵高が出場してしまったことで如何ほど傷つけることになるか、いや広陵高の生徒たちは、騒ぎが大きくなってこれからもっと傷つくことになるのです。

 その被害を最小限度に抑えるべく、広陵高が出場辞退、または高野連と朝日が出場停止を通告すべきでしたが、厳重注意に留めて(内規により)公表すらせず、この件で口を開けば「誹謗中傷」とみなすような態度をとったことは、全く生徒たちの心情や将来を考えていません。

 確かにこの夏を逃せば来年の出場がない生徒にとっては可哀想ですが、性加害を伴う暴力事件が起きたのでは、学校側の調査結果(というより本来広島県警察に捜査願うべき事件)も出ないうちに「甲子園出場」に踏み切って、生徒たちが批判の嵐に晒されるのを予見できませんか?

 第一回戦の対戦相手だった旭川志峯高等学校(北海道旭川市)は試合終了後、数名の部員が広陵高部員との握手を拒否しました。これを「スポーツマンシップが」云云と言うのもわかりますが、こうなることを大人たちが予見すべきだったのです。

 旭川志峯野球部の山本博幸監督は、部員たちから事前に「仲間を虐めたような人と握手をしたくないです」と相談され、何と「自分の思う通りにしていい」と生徒の自主的判断に任せたと聞きました。さぞ戦うのも嫌だったでしょう。

 高野連と朝日は結局、野球をなめているのです。体育を莫迦にしています。

 文部科学省や日本教職員組合(日教組)らもそうですが、子供たちの教育に携わる資格のない「腐った大人」がわが国をこれほどまでに貶めたのです。自分たちのことしか考えない高野連と朝日の「商売」に堕ちた夏の甲子園を、どうしてくれましょうか。

 高野連は「誹謗中傷」と言いますが、私は厳しくこの件を批判(文書で抗議)します。

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『高野連と朝日新聞は腐っている!』に2件のコメント

  1. 日本を守りたい:

    いつもありがとうございます。以下は ずいぶん以前に書いたもので、恐縮ですが、お許しください。今 読み返してみて 無力感ばかりを新たにしているのですが。拝。

     「ジェニンの心」ー新しい人ー

      まず、映画「ジェニンの心」について、その内容を紹介する
     【コラム】 心臓を捧げて  
      パレスチナの闇と光(9月30日mixiコラム)を 引用します。

     ■2005年11月、パレスチナ自治区、ジェニン難民キャンプ
     ある朝、街に銃声が響いた。撃たれたのは、12歳のパレスチナ人の少年。
     おもちゃの銃で遊んでいたところを、
     「カラシニコフを持った過激派」とイスラエル兵が誤認、頭を撃ち抜かれたのだ。

     イスラエルの病院に搬送されるも意識は戻らず、
     かろうじて機械がその心臓を動かすのみ。
     為す術もなく立ちつくす少年の父に、医師はこう切り出した。
     
     あなたが息子さんにしてやれることは、もうない
     しかし病院には、息子さんと同じように命の危険に晒されている子供が大勢いる
     あなたの決断は、難病に苦しむイスラエルの子供たちを救うことができるのだ―――

     臓器移植。同意すれば、息子の死を認め、その死を自らが決定づけることになる。
     また望もうと望むまいと、息子の命を奪ったイスラエルに、
     身を捧げて「報いる」ことにもなるのだ。

     煩悶した後、父親は決断を下す。臓器を提供します、と。

     それから1年半後、少年の父親は、
     移植を受けた子供たちを訪ねてイスラエルを巡る旅に出る。
     果たして再会は、お互いにどのような変化をもたらすのか……

     映画「ジェニンの心」は、アハメドという一人の少年の死を軸に、
     パレスチナ側から見た、紛争の姿を描くドキュメンタリーです。
     喪失から歩き出そうとする父・イスマイルの心の軋みを、カメラは静かに見つめます。

     48年のイスラエル建国に端を発したパレスチナ紛争。
     自国を持たなかったユダヤ人は、悲願の建国を果たしますが、
     それにより以前の居住者は追放され、新たにパレスチナ難民を生むことなりました。

     パレスチナは一般に、ガザ地区とヨルダン川西岸地区からなる暫定自治区
     (日本政府はパレスチナを「国」として承認していません)を指します。
     自治区はイスラエルが一方的に建設を進める「分離壁」で分断されており、
     パレスチナ住民が自由に行き来することはできません。

     イスラエルが行う家屋の破壊、水道や電気などインフラの破壊、経済封鎖により、
     自治区内は深刻な貧困にあえいでいます。
     苛烈な抑圧を受け、自爆テロという究極の抵抗に追い込まれるパレスチナ人。
     しかしテロはイスラエル国民に新たな恐怖と反発を呼び、
     ますます「壁」が広がるという悪循環が生まれています。
     アメリカを筆頭に、国際社会が「反テロ」を叫ぶ中、
     パレスチナは日増しに孤立へと追い込まれているのです。

     映画はそんな深い闇に沈むパレスチナの現状を見据えながら、
     敵対する民が臓器によって結ばれるという一筋の光を描き出します。
     少年の心臓を引き継いだのは、「メヌハ」という名のユダヤ人少女。
     その名は「静寂」や「平和」という意味を持つそうです。
     少女の体で脈打つ「ジェニンの心」は、
     混迷の続くパレスチナの希望となるのでしょうか…」
     【コラム】 心臓を捧げて The Heart Of Jenin 
     パレスチナの闇と光(9月30日mixiコラムより )引用 終わり。

      もうひとつ、矢澤利弘氏のブログより 引用させて頂きます。

     パレスチナ自治区のジェニン難民キャンプで1人の少年が
     イスラエル軍に誤射されて殺された。
     おもちゃのピストルを本物だと勘違いしたのだ。
     父親は悩んだ末、息子の臓器をドナーとして他の子どもたちへ提供する。
     だが、提供する相手の子どもたちはイスラエル人だった。
     このエピソードはメディアで放送され、父親は注目されることになる。
     息子の臓器は6人の子どもを救い、パレスチナとイスラエルの対立の融和への第一歩となる。

     1年半後、少年の父、イスマエルは、
     移植を受けた子供たちを訪ねるため、イスラエルを巡る旅に出る。
     心の交流がある一方、子どもを助けられたユダヤ人の父親の一人は、
     「感謝はしているが、友人にはなれそうもない」とも漏らす。

     頭のなかでは誰もがお互いに同じ人間であると言い聞かせていても、対立は根深い。
     実際は美文調の物語のように簡単にはいかないのが人間の不完全なところである。(了)

      以上は 矢澤利弘氏のブログより引用しました。

      ここからが、私ゲンちゃんの 思うところです。どうか、御読み下さい。

     「ジェニンの心」この重すぎる犠牲によって 我々の時間は絶えず止められる。
     何処へ向かうのかを問われる。
     人は苦悩の扉の前で 何度でも引き返す。
     憎み合うほうが、和解を求めるよりも容易で 人を引きずる快楽でさえある。

     憎悪ではなく、理性が答えを出す。敵は完全に制圧するか、殺してしまえば良いのだ。
     戦争。勝利国によって合法化され正当化される殺人。許された殺人。
     その被害者の数は、裁かれ処罰された殺人よりも遥かに多いのが 人類の歴史である。
     
     逃げてしまえば良いのだ、苦悩から。人生には 苦悩を背負う価値など無い。
     犯す者の狂気 守る者の絶望。全ては闇から生じ、いずれ闇に没するのみ。

     だが 人間にこの現実を突き付ける理性は、
     理性を超える愚かさから生じて理性に迫り来る光を 逃れ切る事は出来ないだろう。
     「ジェニンの心」息子を失った父親の心は そのような光なのだ。
     人間は この光によって、全てを見る事になるからである。
     人間の一切の現実が捧げられる 
     しかし見る事もその名を知る事も出来ぬ 
     それ無しには人間が人間でなくなってしまう ある何か を、人は見る事になるのだ。
     この光によって。

     確かに見ている しかし 見る事は出来ない。矛盾だが、そうとしか言えない。
     そういう事が 人間に起きるのである。
     そして、理性によってであれ狂気によってであれ自己満足したがるこの世界を 
     何度でも揺すって眠らせないのだ。

     私は人間の一人として証言せねばならない。
     愛に反するもの その救われぬ深みを知るものは ただ愛だけであり、
     愛は既に その中心に 愛に反するものを抱いているのだと。
     そして、「ジェニンの心」 息子を失った父親の心は 
     失望と悲嘆の尽きぬ連鎖を絶えず逆流して 未だ しかし既に 目的に達しつつあるのだと。
     今 に侵入した 永遠 なのだと。 

     奇蹟とは 海が裂ける事ではない。裂けるのは人間なのである。
     「友人には 成れそうもない」と言うユダヤ人の頑なな心にも、
     裂け目が出来ていると私には思われる。
     「私は遂にパレスチナの友となった」と
     彼が告白する日がいずれ来るとは 誰も断言できないし、
     たとえその日が来たとしても、その日にさえも、
     イスラエル兵はパレスチナ人を「誤射」し続けるだろう。
     「誤射」も「誤爆」も イスラエルにとって「正当」であり、正常である。
     殺さなければ殺されると理性が主張するのだから。

     だが、愛によって裂かれ砕かれた者は 愛の愚かさに従う者となる。
     愚かにも 敵の 友になるのである。
     人間が もう一度 人間になるのである。新しい人に なるのである。

  2. きよしこ:

    ずっと今回の事件を追い続けていた身として「これで万が一甲子園で優勝でもして監督や主将がインタビューでも受けようものならどうするのか」などとコメントしようかと思いましたが、周知のとおり先ほど広陵の方から参加辞退の申し出があり正式に大会から「途中離脱」することとなりました。広島県大会の準優勝校である崇徳高校をはじめとした広島県内の高校野球部、全国大会への出場が決まっている広陵の軟式野球部、1回戦で対戦した旭川志峯高校などなど挙げればきりがありませんが、関わった全ての人々を傷つけたという意味で「悪い大人たち」の罪の大きさは計り知れません。

    高野連も朝日新聞も広陵も「人でなし」ばかりですから、これで一段落とでも思っているのでしょうが、顔も名前も家族の個人情報さえも世界中に知れ渡った生徒たちの人生は終わったも同然です。当然練習試合も組めませんし、野球部どころかそれ以外の生徒も進学しないでしょうし、卒業生にとって「広陵卒業生」の肩書は誇るものから恥じるものになってしまったのです。

    別に今回の件に限らず多感な思春期ましてスポーツに命懸けで取り組む学生が集まれば暴力や虐めが発生してしまうのは避けられないことではあります。だからこそ「起きたこと」を「なかったこと」にするのではなく「被害を最小限に抑える」のは本日全国各地を襲った大雨や洪水といった自然災害の場合でも当然の対処なのです。ところが高野連・朝日新聞・そして広陵の「3バカトリオ」は自分たちの責任転嫁・隠蔽行為を棚に上げ、自分たちに向けられた批判の全てを「誹謗中傷」にすり替えることで卑怯にも「逃亡」を図っているのです。そうすればするほど高校野球にも学校にも報道権力にも不信感が増すばかりなのにその時その時で最悪の選択を続けるのです。

    彼らが「断じて許さない」とする「個人攻撃」やら「誹謗中傷」やらは全て自分たちが行ってきたことでしょう。高野連や朝日新聞や広陵の校長による会見での発言にも「俺たちだって被害者なんだから少しは手加減しろよ」という本音が明け透けではありませんか。教育どころか日本社会の風上にも置けない、一点の曇りもないクズ中のクズ、それが先の「3バカトリオ」なのです。

    旭川志峯の選手たちも実に気の毒です。3年生はよりにもよって高校野球最後の試合相手が「犯罪者集団」であり、普通の対戦相手であれば清々しく爽やかに戦い敗れることもできたでしょうが、試合前から自分たちには何ら非はないのに全国の注目の的となり、複雑な気分を抱いたまま本来の実力を発揮できなかったことは想像に難くありません。試合後に握手をすれば「何故あんな奴らと握手なんかするんだ」、しなければ「スポーツマンシップに反する」と批判を受けてしまうのです。そんなことくらい少し想像すれば予想できることでしょう。血を吐くような努力の末に勝ち取った一生一度の晴れ舞台を「思い出すのも嫌になる」ものに歪めた「3バカ」の所業は万死に値します。

    高野連と朝日新聞は元から有害無益の組織なので捨てますが、広陵はもちろん高校野球に携わるすべての人々に奇しくも広島で伝説的英雄となった衣笠祥雄さんの言葉を今一度聞いてほしい。

    【鉄人・衣笠祥雄】 生前最後のインタビュー
    https://youtu.be/w46SNDMUbvQ?si=iJLUs6JoZNUqy6bi