クルド問題、トルコ大使に聞け

皇紀2684年(令和6年)12月1日

【独自】政府、子育て支援贈与税制廃止へ 1千万円非課税、利用低調

 政府は、結婚・子育ての資金を一括で贈与すると贈与税が1千万円まで非課税となる特例について廃止する方針であることが30日、分かった。利用が低調な上、世代を超えて格差を固定化しかねないと判断した。今後、…

(一般社団法人共同通信社)

 以前から私は、相続税以外は減税すべきだ、と申してきました。もっと細かく申しますと、特に消費税と贈与税は廃止すべきなのです。

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 仮に多額の資産がある高齢者でも、もはや運用も消費もままならない(欲しいものなどない)場合が多く、その場合に所得の少ない子や孫へ贈与することで彼らが経済を回し始める可能性が極めて高いからです。

 いわば資産の継承を円滑にすることは、一京円を超える(政府資産を除く)国民資産の半ば「塩漬け状態」を見ても、内需(景気)回復の一助となりえます。何をもって「格差の固定化」などと言っているのか、全く意味が分かりません。

 これは、財務省(新川浩嗣事務次官)案か、形式上はたまた政府税制調査会(扇百合会長)案ということか、そのまま自民党税制調査会(宮澤洋一会長)へ持ち込まれるにしても、共同通信社の言う「政府」を今後はっきりさせますが、かねてより「財務省は、いわゆる『年収の壁』を取り払うかに見せて別の増税・徴収強化案を必ず出してくる」と申した通りの流れです。

 非課税特例の廃止には、厳重に抗議します。

トルコ大使も川口クルド人の出稼ぎ認める「経済理由、われわれも共有」「難民制度を悪用」 「移民」と日本人

埼玉県川口市に在留するトルコの少数民族クルド人が、法務省から「出稼ぎ」と断定されていた問題で、コルクット・ギュンゲン駐日トルコ大使は産経新聞のインタビューに応…

(産經新聞社:産経ニュース)

 さて、要らぬことばかりして肝心なことは何もしない政府や自治体は、一体何のために存在しているのでしょうか。米国のドナルド・トランプ大統領は、ワシントンD.C.の左翼職員たちを一掃し、省庁縮小を構想していますが、わが国もそうすべきです。

 平成十三年の省庁再編でも、未だ旧省庁閥で省内対立に興じているような文部科学省や総務省などは、もはや「バッサリ」斬り捨て、或いは縮小しなければいけません。

 兵庫県庁や沖縄県庁の有り様からも、それは地方自治体とて免れることはできないでしょう。埼玉県川口市や蕨市に於ける一部の在日クルド人が引き起こしている大問題に、市がまるで対応しないとすれば、きめ細やかな住民奉仕の目的を果たしていないのです。

 今なお一部の在日クルド人の問題を「デマやヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)」や「保守系市民団体の妄言」のように吐き散らかす勢力は、在日中共人や在日北韓(北朝鮮)人がさんざんやらかしてきた問題から私たち国民の目を逸らせようと、自分たちこそが虚構をバラ撒いています。

 米民主党のラーム・エマニュエル駐日大使には尻尾を振り回してきた政府は、トルコ(土国)のコルクット・ギュンゲン駐日大使の言うことは聞かないのでしょうか。

 これまでクルド人の暴虐(土国内のテロ)に苦しめられてきた彼らの言葉は、その侵入を許してしまったわが国が参考にすべきです。彼らの警告を無視してはいけません。

 難民申請の制度を「悪用されるなら、日本の警察当局や入管庁などとも連携して阻止していく」とまで断言したギュンゲン大使の言葉は、極めて強く、且つ重いものです。

 これでも一部の在日クルド人の問題は全くの嘘なのでしょうか。行政権力は直ちに、私たち国民に説明してください。今後も訴えていきます。

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『クルド問題、トルコ大使に聞け』に4件のコメント

  1. 素浪人:

    今日は。

    遠藤様が仰る、廃止すべき税の件で、愚生が思いますに、相続税もその中に入れるべきではないかとかねがね愚考する所です。と言いますのは、相続税こそ、納税者の税負担が大きく、場合によっては遺産を切り売りせねば税の納付もままならぬ事例が頻発しており、資産の形成に何も寄与しない国家権力が、何故そこまで国民の遺産相続に重税を課すのか、浅学な愚生には理解しかねるからです。古くは、江戸時代に農民が遺産相続する時に子孫達に耕地の分配を行い続けた結果、耕地が細分化され、その子孫達が却って窮乏化し納税能力を失って行った歴史から、幕府は『分地制限令』を発布して田畑の遺産分割を禁止しました。江戸幕府ですら、納税者の担税能力を考慮して課税政策を行っていたのを考えますと、戦後ニフォン政府の採っている課税制度には疑問を呈さざるを得ません。この点に付きまして、遠藤様のご所見を頂ければ幸いです。

    クルド人の問題では、先日、実に20年も前に入国管理局(現・出入国在留管理庁)が、トルコの現地調査まで行い、クルド人は難民に非ず出稼ぎ人である、という結論を記した報告書を作成したにも係わらず、毀日・日便連の差し金で、その公表を凍結し、国内政策にも反映させなくした、と報じられました。島田洋一氏ら一部の国会議員と川口市議の奥富精一氏らがこの問題を取り上げていましたが、川口市民らの長年の苦難を考えますれば、これは万死に値する大問題ではないでしょうか?遠藤様が仰る、葬務宦官府と悶部禍学宦官府の解体若しくは縮小もそうですが、放務宦官府の場合、入管を放務本体から切り離し、日便連ら他組織からの干渉を防ぐ方法を考慮すべきだと思います。また、20年前に報告書の公表と政策反映を凍結した当時の官僚・日便連関係者らを公訴すべき事案と思います。

  2. 遠藤 健太郎:

    皆様、いつも貴重なご意見を賜り、ありがとうございます。

    素浪人様
     相続税は現行、三千六百万円の基礎控除額を超えて課税されますが、贈与税を廃止した場合「遺産相続で課税されるくらいなら生前に贈与したほうがよい(死んでしまってからでは課税される)」と考える国民が圧倒的増加すると思われますので、経済が回り始めるのは早くなると思っています。

     実質相続税収なんぞ極端に申せばゼロ(税法上存在するが機能せず)になってもよいので、贈与税の廃止により、生前のうちに(資産を保有する者が死んでからでは決してなく)贈与の是非や規模について家族みんなで話し合うことの国民的健全を考えての提言です。

     ついでに申しますと、固定資産税も大幅減税すべきだと思っています。その分の地方税収減は、それこそ石破氏が「地方創生」を本気でやるなら国家予算で初めから組んでおけばよいのです。国賊村上氏の「地方脅し」は、言語道断でした。

     財務省は絶対に嫌がるのですが、記事中にもある自民党税調の宮澤会長(旧大蔵省元理財局系)こそ「増税の請負人」ですので、新川次官(主計局系)や菅義偉元首相の政務担当秘書官だった寺岡光博大臣官房統括審議官(主計局系)らが中心になって増税案を党と内閣に押し込んできます。

     この闘いは、議員(民意)側がどこまでこれらをひっくり返せるかにかかっていますので、行けるところまで行くつもりです。

  3. ナポレオン・ソロ:

    241201―3 今迄独裁政権の様な横暴振りを染めして来た民主党敗北で大変化は当然
    遠藤さん今日は ソロです。
    日本の省庁改革がスム-ズに行かないのは、職員を雇用しているのが基本的に、国だからなのですが、ならば、最終的人事権は行政の長、詰り総理大臣いなければならないh事だが、その総理大臣足るものが、1役人を過剰に頼っている様は、如何にも大臣としての価値を自ら貶めているとしか言い様がない。 そりゃあ国民がそっぽを向きますね。

    然も、彼らを国民の代わりに問い詰めて、帆jン疾うにすべての国民の為詰まり公益性を確保する役目を野党議員が果たしているかと言えば、汚いヤジを飛ばすだけで有効な質問が出来る議員がほとんどいないTVを使って膨張しているのが本命の国民だと言う事を完全に忘れているかの様で、今ア奴らは二度と国会に葉立たせないぞ、としか思えない、

    鹿海仄聞するに、自ら「資金集め「パーティ禁止法案を出してい乍、その足で、資金パ-ティ会場へ直行する某野党党首に、その子を直裁に訊いたら、答えるに「あぁ、あの法案はどうせ通らんのだから、パーティには行っても、違反はしないよね」とか、続けて「おれって頭良いだろ」とでも言いそうな軽薄ぶりだから、選挙後に党首交代は当たり前。。

    まぁこの野党にして第一党なのだから、2大政党での政治なんて出来るわけがない。 だから、日本も政治家としての人材が丸で居ないと言って良い。 せめて高市さんクラスの人材が各党首であれば、政権交代も現実的に思えるが、今の儘なら、早めに議員引退しろよとしか思えない人材ばかりですね。 真面そうなのは身の下スキャンダル持ちだし

    一体何の為に政治家を志したのか? 韓国人やシナ人の様に、金と権力と女の為なら、日本人としての誇りはどっかに置き置き忘れて来たのだろうから、探しに行って二度と返って来るな、と言いたいですね。 之を地方行政体の首長も、同レベルの様で、ぅ辺て中央官庁からの天下りだから、額に汗して働く習慣が無い、だからエリ-トんんだとモラルも低い。

    自ら改革改良改善をする気が無く兎に角目先の利益しか追っていないのが丸見えだ。確かに地方行政にもトランプ態改革が必要でしょうね、

  4. 日本を守りたい:

     いつもありがとうございます。今回も、ずいぶん過去の文章ですが、
    お許し頂ければ幸いです。拝。

     「母の愛 父の愛」

      母の愛は言う。「あなたは私の子。ただそれだけで良いのです。」と。
      
     母の愛は告知するのです。愛が無条件の、存在そのものへの恩恵である事を。

     そして父の愛は言います。「神を愛せよ。」と。
     
      ゲンちゃんが「神」と言う時、それは
     特定の宗教の神話による神ではありません。
     人が本当に結ばれているもの。それだけが、その人にとって 神 なのです。
     父の愛は、「お前が本当に結ばれているものを 愛しなさい。」と告げるのです。

      人は 死を意識する者です。死に定められている事を知っている。
     それらは 死の幻影でしかないけれど、死によって自分がどうなるのかを想像出来る。
     死は 人を全てから 引き離す。この世界から この時間と歴史から、そして、
     その人自身から、死は人を 引き離す。

      人は、全てから引き離される運命に置かれていながら、それでもなお、
     「私が本当に結ばれているものが在るのか? そんなものが本当に在るのか?」と
      問わずにはいられない。人が人である限り。

      「私は そんな事は問わない。」と言う人も在ろう。意識しては問わぬ。
     だが、人は無言で問い、無言で求める者である。意識しない 意識出来ない問いを 問う。
     みずからが問う以上に より深く 問われる者である。人という存在の深みに 問いが在る。
     存在そのものが 問いである。

      では、答えは? 答えは 在るのか?

      問いは答えから来る。
     
      人が答え得ぬ問いを人に与える者が 答えなのである。

       ここで再び、初めに戻るしかない。
     「人が本当に結ばれているもの。」
      誰もが皆、この世界で一人だけ この歴史で一度だけの存在として、
     ただ自分だけの答えを求め、そして、得る。
      人の尊厳の 限りない深み。畏怖すべきもの。

      大震災の日から一年後 3月11日 午後3時。日曜日だったので、
     日曜だけが休日のゲンちゃんも、式典のラジオ中継を聴けました。 
     「この世には神も仏もない。」
     「これが地獄かと思った。」これらの言葉がラジオから聴こえた時、
     ゲンちゃんは呟きました。
     「地獄が人の空想であるのと同様に、地獄の無い人生もまた 空想だ。
      愛する者を失い、一切の意味の崩落に打ちのめされて、
      それでもなお、倒れたままで見る空は高く、地は深い。
      無意味さに耐える生の、弱いままの強さこそは、
      無意味さに優り そして 如何なる「意味有る生」にも優るのだ。
      安心して良いのだ、深く深く、どこまでも深く、人の生は受容されているのだ。
      その受容は限り無い恩恵であって、受け切れぬほどに豊かなのだ。
      それを知らされる時が来たなら、涙と共に ただ受けるだけで良いのだ」と。

      人は創造と破壊を統合し得ません。生と死を同時に肯定出来ません。
     それは人の限界であって、超えられない事です。
      しかし、見失ってはいけない。死によってさえも、生は生それ自身を展開するのです。
     新たな次元に至るのです。生が生を愛する事 受容する事を、死が求めているのです。
     死もまた、生に付随する 生の要件なのです。
      愛する人を亡くして、愛する人と結ばれる新たな深みが開かれる。
     人が自力では開けなかった深み 仰ぎ見る事の出来なかった高みにおいて
     愛する人と結ばれて行く。ただ身を委ねたら良い。
      
      人が本当に恐れるべきもの 悲しむべきものは、天災でも死でもない。
     それらの運命でさえも決して切り離せない 人が本当に結ばれている
     無条件の愛によって限り無く受容されている事 
      (だからこそ人は自由なのです これが人の自由の根拠なのです)
     人が結ばれている永遠性 この至高の恩恵に対して、自身を閉ざしてしまう事だ。
     ただそれだけが、人生を台無しにしてしまうからである。人生を害うからである。

    人は地獄の中で生きている。地獄を背負って生きている。
     だが、地獄など恐れるに足りぬ。人と同じ、存在を与えられただけのものに過ぎない。
     存在の根拠も目的も知らぬ、ただ創られて ただ滅びるだけのもの。
     
      人は、真の自由 永遠性と結ばれている。
     この事を、母の愛と父の愛が、不断に人に告知し続けているのである。

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