この貧しさを…この屈辱を
昭和二十七年四月二十八日の桑港(サン・フランシスコ)講和条約発効と共に役割を終えた現行憲法(占領憲法)を未だ「憲法」とし、その施行を祝い続けているわが国は、大東亜戦後復興から高度経済成長以降、いよいよ「毒」が回り始めて首が回らなくなってきました。
占領憲法の屈辱に次ぐ屈辱の一つと申せば、昭和六十年九月二十二日のいわゆる「プラザ合意」です。これは、米国と同じ産業輸出国のわが国を、米国が再度絨毯爆撃したようなもので、急速な円高から四年後の平成元年四月一日に導入された消費税と共に、今日にまで至る内需委縮(致命的不景気)の原因でした。
合意直前の相場は、一ドル=二百四十二円であり、さらに以前は、同三百六十円という固定相場のもとでわが国経済が焼け野原から劇的回復を果たしたわけですが、安倍晋三元首相が例え話として用いた「一ドル=三百円」というのは、すなわち延延と続いた異常な円高(同九十円から百円台)からの脱却を目指した金融政策の方針を述べたものでしょう。
結果として、日本銀行の量的金融緩和から始めてしまい、成長戦略と財政出動が後回しになった上に結びつかなかったことで、いわゆる「アベノミクス」は失敗しました。そのことは、成長戦略の発表がないまま進んだ当時、ここで何度も「既に失敗」と指摘しましたが、それが安倍首相(当時)のご機嫌をかなり損ねたようです。正直に申しますと、このころから私の陳情が安倍首相に届かなくなりました。
しかし、政策の方向性は、決して間違っていません。目下一ドル=百六十円弱の相場を見て「円安だ」「大変だ」と騒ぐ程度の低さは、私たち国民の、まさに「民度の低さ」をそのまま表したものです。
何十年も円高で苦しんできたわが国に、ようやく訪れた好機を生かそうとせず、海外へ脱出(生産拠点を移転)してしまったわが国企業経営者たちが今度は外国人労働者という「実は何かと高くつく輸入品」に目がくらんでいるうちに、いや、それは同時に安倍元首相のもう一つの失敗(特定技能など在留資格に関する誤った政策)も原因ですが、誰一人として建設的議論を展開しません。
それがなければ好機を逃します。内需回復の絶好の機に、円高が収まった裏で大儲けしている政府が消費税を廃止にもせず、これまで通り「社会福祉のお金がないです」などと嘘をつきながら国民経済(消費)を喚起できないなら、中小企業の成長や真の「デフレからの脱却(給与上昇)」など起こりようがありません。
結局、こうした「円安騒ぎ」は、私たち国民が自分で自分の首を絞めているのです。財務省という行政権力の権化と報道権力に煽られるがまま、自分たちで民度を下げているとも申せましょう。
その結果が「『選択的夫婦別姓』賛成が62% 反対は27%に」(日本放送協会=NHK世論調査)であり、且つ「改憲論議急ぐ必要ない65%」(共同通信社世論調査)です。
夫婦別氏(姓)の根本が「男尊女卑」であることは、ここでさんざん指摘してきましたが、それを亜州でいち早くやめたわが国に、もう一度韓国や中共の(老荘思想的)価値観に戻せ、とでも言うのでしょうか。占領憲法の「自由と権利」をはき違えた挙げ句の大間違いに、誰も気づいていません。
また、占領憲法の扱いについても、毎年の世論調査でフラフラしています。何か安全保障上の不安が拡大すると「改憲を急げ」と言い、どうでもよくなると「必要ない」と言い出す私たち国民を前に、立法権力が法の原則を守らないからいつまでも解決しません。
占領憲法を後生大事に「憲法」と言い張る限り、私たち国民は、そしてわが国自体が何度でも米国の絨毯爆撃を受けるのです。国民経済が置き去りにされる財務省の方針がどこから来るか、よく考えれば「議論急ぐ必要ない」などと吞気なことは言っていられません。
共同のような報道権力の「尋ね方」も悪いのでしょうが、私たちはもうこれ以上、自傷行為に及んではいけないのです。
皇紀2684年(令和6年)5月3日 5:34 PM
今日の記事はなかなか難しいお話ですね。
しかし、難問を解こうと努力しなければ賢くなれない=無から有は生じない、ことを肝に銘じて努力するしかありません。
おカネを稼ぐには、モノ・サービスの価値>おカネの価値のときが良い→インフレ(国内的貨幣価値)、円安(対外的貨幣価値)
おカネを使うには、モノ・サービスの価値<おカネの価値のときが良い→デフレ国内的貨幣価値)、円高(対外的貨幣価値)
おカネを稼ぐ世代=現役世代、おカネを使う世代=引退世代と大まかに分けると、現役世代はインフレ、円安がよく、引退世代はデフレ、円高がよい、となり、なんとなく現役世代と引退世代の相反の構図が見えてきます。
財務省の増税の大義名分が社会保障費増大ですが、これも現役世代と引退世代の相反にみえます。
以上から問題の根源に現役世代と引退世代の分断=核家族化があるのではという仮説で問題を考えてみます。
少子高齢化問題の解決
祖父母の人数と孫の人数が比例していれば、少子高齢化にはならない=祖父母が孫の面倒をみることが当たり前の社会なら少子高齢化にはならない。
祖父母が孫の面倒をみることは、祖父母の健康維持につながり、社会保障費や医療費の低減につながる。
祖父母が孫の面倒をみることは、子や孫が家制度の有難さを実感することにつながる。
祖父母が孫の面倒をみることは、現役世代と引退世代の経済的相反を解消することにつながる。
祖父母が孫の面倒をみることが当たり前の社会の実現には、地方経済の活性化が必要である。
以上、自分でも意外なところに着地しましたが、祖父母が孫の面倒をみることが当たり前の社会の実現とは、安倍元首相の「日本を取り戻す」と同義なのかもしれません。
皇紀2684年(令和6年)5月3日 8:24 PM
「吉田茂の犯した最大の間違いは自分も同行していったサンフランシスコの日本の独立がみとめられた講和条約の国際会議でアメリカ制の憲法の破棄を宣言しなかったことだ」
(吉田茂総理の側近中のだれにもまして側近だった白洲次郎の言葉)
【石原慎太郎 日本よ】白洲次郎が明かした「吉田茂の最大の間違い」とは?
https://www.sankei.com/article/20170503-LSBDOP6XKBNZBBZSDQMD23MULA/
(途中から)
共に同盟国として敗戦し連合国に降伏したドイツと日本の敗戦に際しての姿勢の決定的な違いについてだ。未曽有の新兵器原爆によって瞬時に二度も数十万の市民を殺戮されて腰を抜かした日本が無条件降伏をしたのに比べて、ドイツは降伏に際してあくまでも三つの条件をつけ、それが受け入れられぬ限り徹底して戦うと主張した。
その三つの条件とは第一に、敗戦の後の国家の基本法の憲法はあくまでドイツ人自身の手によって作る。第二は戦後の子弟の教育指針はドイツ人自身が決める。第三はたとえ数はごく少なくとも国軍は残すというものだった。
この国家民族の主体性を踏まえた主張は勝者の連合国側にも受け入れられ、ドイツは他国による完全支配を免れた。それに比べ日本は他国による奴隷的な支配の甘受を許容することになった。その国家民族の没個性的な状況を象徴するのが現憲法に他ならない。
混迷し、暗黒だった中世が終わった後の世界の歴史は白人による有色人種への一方的支配だったが、唯一の歴史的例外は日本という国家の存在だった。白人による他地域への支配を象徴する強大な帝国海軍を保有した有色人種の国家は唯一日本であり、世界一巨大で強力な戦艦『大和』や『武蔵』を保有するに至った日本は白人支配に対する歴史的『NO』を示す目障りな存在だった。アメリカによる戦後の日本支配はその復活を半永久的に封じるためのものに他ならなかった。それを象徴するものが彼等が即製し強引にあてがった現憲法に他ならない。
(これは知らなかったですね~有色人種が不遜にも成り上がって来た事は彼ら白人には許されざる事だったわけです。簡単には屈しなかった我々の先人方を誇りに思います。)