君が代を唄わずにすむ方法

皇紀2684年(令和6年)3月16日

卒業式「『君が代』歌いたくない」京都の親子が文科省へ申し入れ 「強制やめて」

 昨春の京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で「君が代」を歌いたくないと申し出、教員らに説得されたが結局歌わなかった田花結希子アイリーンさん(13歳)と母親の水谷麻里子キャロラインさん(48歳)親子…

(【閲覧注意】週刊金曜日【極左暴力活動誌】)

 どうしてもわが国の国旗を掲揚したくない、何があっても国歌を斉唱したくない、という場合に方法が一つだけあります。直ちに日本国籍を捨て、国外へ移住することです。

 そして、またその国の国旗も国歌も否定して、どうぞ追い出されてください。他国の国歌のほとんどは、君が代とは程遠い「血生臭さ」にあふれていますから、人権や平和といった観点から「唄いたくない」というなら、行き場(生き場)がないかもしれません。

 つまり、国歌とは、その国に脈脈と受け継がれてきた歴史そのものであり、人びとの呼吸です。これを否定する対日ヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)は、決して許されません。私たち国民の存在を拒否する権利など、そのような人たちにはないのです。

 国旗・国歌法という恣意的法律(本来「日章旗を国旗とし、君が代を国歌とする」ではなく「日章旗は国旗であり、君が代は国歌である」とすべき)によって掲揚や斉唱が「強制」されるのではなく、すべて人類の命の継承とその歴史に敬意を払い、自らの存在に感謝する(命を大切にする)べく掲揚・斉唱されるのが国旗であり国歌であることにほかなりません。

 上記写真の左手に写る日本共産党の倉林明子参議院議員(左翼の巣窟、それが京都府選挙区)が自身の左翼・対日ヘイト活動にこの親子を招き入れ、利用したのが今回の珍妙な騒動です。取るに足らないものですが、放置すると増長しますので、自由と権利のはき違えを厳しく指弾しておく必要があります。

 醜い大人が子供たちの成長を著しく歪ませてしまうのです。

岸田首相、成田悠輔氏の老害発言を「極めて不適切」と答弁

岸田文雄首相は15日の参院予算委員会で、経済学者の成田悠輔氏が「高齢者は老害化する前に集団自決すればいい」とした過去の発言に対する見解を問われ「極めて不適切な…

(産經新聞社)

 その醜い大人の、もう一つの典型例がれいわ新選組の山本太郎参議院議員(軽薄の権化、それが東京都選挙区)でしょう。決して米イェール大学の成田悠輔准教授ではありません。

 あっ、産經新聞社にも「【閲覧注意】【中途半端な中道紙】」と添書しておきましょうか? いつも読んでくださっている記者の皆さん、ごめんなさい。

 冗談はさておき、国会議員が一私人を国会で「なぶりもの」にしてよいのでしょうか。はぐらかすべきを莫迦正直に答えた軽率な岸田文雄首相も同罪です。

 成田氏について、実のところ私はそれほど詳しくないのですが、当該発言が騒がれた際、その全文に目を通しました。彼が言っているのは、高齢者が「老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」ということであり、高齢者が一律、或る年齢に差しかかってまるで殺処分されるような意味ではありません。

 もっと凄いことは、かつて上岡龍太郎さんが讀賣テレビ放送系『パペポTV』で言っておられました。うろ覚えですが、こうだったと思います。

 上岡さん「人間ね、七十になったら自動的に殺す」
 鶴瓶さん「そんなあんた、無茶苦茶やな」
 上岡さん「いやいや、死ぬのがいつか分かってるほうが生きるの楽やで」
 鶴瓶さん「でもそれやったら七十歳より前に死んだら損みたいになりますやんか」
 上岡さん「その場合はね、子供が引き継ぐの。例えば、六十五で死んだら子供に五歳プラスされる」
 鶴瓶さん「そらよろしいな。うわぁあの人、子供孝行やったなぁ言うて」
 (観客大爆笑)

 実際には八十一歳で、まさに演芸界に於いて「老害化」する前に引退し、二度と復帰しないまま亡くなられたのが、人権派弁護士の血を引く上岡さんでした。成田氏の発言も、国会議員に国会の予算を裂いてまで誹謗中傷されるほどの問題だったとは考えられません。

 よって成田氏の広告起用取り消し騒ぎも、ポリティカル・コレクトネス(綺麗事莫迦)がもたらす左翼・極左的キャンセル・カルチャー(特定人物の私刑・社会的排除)の典型事例です。

 人は、年齢に関係なく老害と化します。山本議員は、一刻も早く私たち国民の前から消えてください。私も「皇室を破壊し、国民皆殺しを目指し、日本を地図から消す闘争を開始する」と言い出すような老害になったら消えます。

スポンサードリンク

『君が代を唄わずにすむ方法』に1件のコメント

  1. きよしこ:

    決して君が代を否定するわけではありませんが、「(君が代に限らず歌全般を)歌いたくない」「健康上その他の理由から歌えない」という自由もある程度認められるべきだとは思います。しかしこの親子の件で問題にすべきは我が国の国会議員が「国歌を歌わないお手伝い」をしているということです。些末な「不記載」のことで大騒ぎする報道権力は「税金で暮らしながら国家を否定する政治家」を何故(確信犯的に)放置するのでしょうか?もちろん「味方だから」に決まっているのですが。

    成田氏の発言にしても同様で、「表現・言論の自由」を声高に叫ぶ者ほどこの手の発言に過剰に反応します。かつて麻生太郎氏が「いったい何歳まで生きるつもりだ」と発言した際もそうでしたが、報道権力に巣食う「正真正銘の老害」にとっては図星だからこそヒステリックに怒鳴り散らすのでしょう。また、キリンには猛抗議をするくせに「サンデージャポン」に彼を出演させるTBSにはダンマリなのはどういうことでしょう?まさしくこの手の活動家が権力の犬でしかないことを皮肉にも自ら証明しています。山本太郎のような「ただの害」を政界から追い出すまでは私も老害にはなれません。