ケナタッチと中国の勘違い
G7主要国首脳会議(サミット)が開かれた伊シチリア特別自治州メッシーナ県タオルミーナといえば、リュック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』の舞台であり、毎年六月に国際映画祭が開催される街です。
そのタオルミーナ国際映画祭で、かつてグランプリを受賞したのが大阪芸術大学映像学科の卒業制作映画『鬼畜大宴会』(熊切和嘉監督)であり、本作は、極左暴力集団の内部崩壊(内ゲバ)に於ける目を覆いたくなるような惨劇を描いています。
今回のG7は、欧米間の溝をわが国の安倍晋三首相が埋めるという役割を演じ、一定の存在感を見せつけたと申せば大げさ(産經新聞社が讃えるほどではない)かもしれませんが、少なくとも安倍首相は、現行憲法(占領憲法)で交戦権(外交権)がないことを多くの国民に気づかれないよう立ち回るのが非常にうまいのは確かです。そのような首相は、占領統治以降歴代で何人かいました。
つまり、私たちの首相が世界的影響力の強い平和的指導者として位置づけられることがないのは、G7唯一の黄色人種であることに対する欧米の差別意識が下敷きにありつつ、やはり交戦権を否定された占領憲法国家の限界が首相の行く手を阻むせいです。
安倍首相のさらなる(世界中のもめごとをことごとく解決していくような)活躍を望むならば、その安倍首相が思い切った憲法判断をするよう私たちの見解を相応程度まで引き上げねばなりません。特に保守論壇が中途半端な(第九条第三項の加憲を評価するような)ことしかいわないから駄目なのです。
さて、タオルミーナで安倍首相は、連合国(俗称=国際連合)のアントニオ・グテーレス事務総長にも初めて会い、二十四日記事で触れたジョセフ・ケナタッチ特別報告者の発言に対するとてつもない見解を引き出しました。
グテーレス事務総長のいう通りであれば、菅義偉官房長官が会見で述べた「特別報告者は『国連』の立場を反映するものではない」という見解こそが正しく、その後のケナタッチ氏の「菅長官の指摘は、無知からなのか」という反論が氏のとんだ勘違い、或いは組織に対する無知からくるものだったことになります。
ということは、極左暴力集団側にたって国会の議論をミスリードしたような野党各党とその支持者たちがケナタッチ氏にしつこく告げ口をし、その「特別報告」を歪めた可能性がますます高まり、そのような特定の政治活動によって作られた話を、連合国として追認するつもりはないという事務総長の方針が示されたということでしょうか。
ならば中韓とその支持者の「反日(対日ヘイトスピーチ)」にも左右されないよう、畳みかけて政府が連合国の見解を正すべきです。
G7の対中方針にも大きな進展が見られました。「(中共の)一方的な行動に強く反対する」という踏み込んだ首脳宣言が取りまとめられたのです。これには、米国のドナルド・トランプ大統領が異論をはさまなかったといわれています。
対朝方針で米中共闘の様相を呈し、「東京は捨てられた愛人」などと対日侮辱を展開していた中共共産党のとんだ勘違い、或いは太平洋防衛に対する無知をも正さねばならないのです。
皇紀2677年(平成29年)5月28日 10:40 AM
事務総長が直々に否定しているにもかかわらず、あたかも「国連が『テロ等準備罪』を痛烈に批判」といった口調で報じ続けた日本の各メディアは、責任を感じるべきです。
「国連が『慰安婦合意』の見直しを勧告」といった類の報道についてもです。
「テロ等準備罪」の成立が目前に迫っているからでしょうか?
今日も、明日も、明後日も、テレビ局は「前川氏と加計学園」問題を喧しくやるようです。
今治市と加計学園側に対して期待を抱かせ、様々な改革を一歩、二歩と進めて来たという点では、旧民主党やその当時の政権にも大きな責任があると思うのですが、NHKがちらりとこの点をニュース番組か何かで指摘したら、自由党の山本議員にガミガミ怒られたようです。
自由党・山本太郎氏「NHKが忖度報道を続けるなら、受信料支払いをボイコットする」
http://www.sankei.com/politics/news/170527/plt1705270024-n1.html
ところで、「加計問題」の落としどころは、本当にどこに設定しているのでしょうね?
豊洲のように、永遠にグダグダになって行くのでしょうか?
皇紀2677年(平成29年)5月28日 3:29 PM
憲法九条を、何の先入観も持たずに、書かれていることを忠実に捉えれば、そこに書かれているのは国際平和のことであって、日本の平和のことではない。
日本国憲法なんていうもんだから、てっきり日本の平和のことが書かれていると思って読むから、違和感がある。
これが九条論議を混乱させている原因ではないのか。
九条論議で、自衛権とか自衛のための戦争とか、そんな話はまったく筋違いの話だ。
繰り返すが、何しろ憲法九条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、~」と国際平和を希求して書かれたものだからだ。
確かに、他国から侵攻・侵略・支配されても、日本人が大人しく無抵抗で従えば、国際的には平和ということになるのだろう。
そういう意味では、憲法九条は正しいのかもしれない。
しかし、国際平和を誠実に希求し、と書かれているのに、憲法九条で世界が平和になどなってないことは明らかだ。
安倍総理が憲法九条(1項2項)を維持するというのなら、なぜこの国際平和に対して役立たずの憲法九条を維持するのか、国民に、そして国際的にも国連などで、説明する必要があるのではないか。
普通に考えて、例えば日本の法律が、国内のある一部の人だけに適用されて、それ以外の人には適用しなかったら、何の意味もないことは、小学生にも分かるくらい明らかだ。
だから憲法九条が、国際平和に対して役立たずなのも、世界すべての国で制定されてないからだろう。
安倍総理には、是非国連で、世界すべての国で憲法九条を制定するように、訴えてもらいたい。
皇紀2677年(平成29年)5月28日 5:34 PM
憲法や特に国民主権を調べると日本は半独立主権国家としか言えません。
しかもこの国民主権が曲者で、
戦前 天皇(主権者)→帝国政府陸海軍→帝国国民
戦後 ? →日本政府自衛隊→日本国民(主権者)
となるのですが、現在の日本政府は誰の下で動いているかという疑問が湧きます。
日本国民だろと言われそうですが力関係で見ると違います。
日本国民は主権者と言っても徴税権や警察を保持する政府には絶対及びません。また政府行政機関の人間を罷免(憲法では可能)することも出来ず、そもそも手段がありません。せいぜい選挙権の行使だけです。また国民一人一人が領土、外交、軍隊を持つなどあり得ません。つまり国民主権というのは実態のない単なる肩書きとなります。本当に国民が主権を持っているなら国民は行政や政府や軍よりも上位存在となりますが、事実は全く逆です。
となると現日本政府は一体誰の指示で動いているのかとなりますが、これは米国(連合国)政府以外ないと考えます。
戦後 米国(連合国)政府→日本政府→日本国民(名ばかり主権)、天皇
力関係で見るとこれ以外考えられないわけです。
海外に多く援助、少子化対策をしない、雇用破壊、円高受け入れ、治外法権を放置(朝鮮学校)、入管や帰化要件の改善をせず通名すら禁止出来ない、民主時の悪法を放置、絶対に大衆の減税をしない、竹中やワタミを使う、自衛隊強化は米軍補完戦力のみ、etc。
日本政府の主人が米国政府ならばこれらは全部説明がつきます。