核シェルターほぼない日本
本日は、昭和二十年八月六日午前八時十五分に米軍が広島市に投下したウラン型原子爆弾に続き、プルトニウム型原子爆弾が長崎市に投下されてから七十年目を迎える日です。午前十一時二分でした。
せめてこの程度のことは即答したいものです。以前にスイス(瑞国)の例を持ち出した欧州某国政府関係者に指摘されてハタと膝を打ったのは、「日本人は世界で唯一の被爆経験を持つのに、今なぜ核攻撃への備えがまるでないのか」という言葉でした。
瑞国では、核シェルターが全国民を収容して余りあるほど設置されていますが、わが国には設置を義務づける法がなく、三度目のそれが飛んで来れば無防備なままです。「被爆国でなければ分からなくもないが、広島と長崎の惨状を訴えてきた日本人が、今や最も核攻撃を受けることの恐ろしさを忘れている」というのです。
自力で国を守るということすら語るにはばかられた結果、私たちは最も基本的な疑問を疑問にも感じず呑気に生きてきました。政治家も官僚も国民も、その感覚でいわゆる「安全保障法案」と向き合ってしまってはいまいか、と。
この現実も頭の片隅に置いていてほしいのです。
▲ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実:水間政憲 (PHP研究所 刊)
その上で、誰に頼まれたわけでもありませんが、この本をご紹介しておきます。是非とも手にとって読まれてみてください。この占領統治の基本方針(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の延長線上に現在の皇室典範(占領典範)と日本国憲法(占領憲法)が作られたのです。
皇紀2675年(平成27年)8月9日 5:07 PM
BBCは広島長崎被爆者の証言をニュースで英訳して伝えている。原爆投下後のものすごい音。欠片の良心はあるようだ。米国はpbsなど関係ないものばかりの放送だ。関わった米兵士が心の苦しみもなく胸を張って老衰まで生き残る。写真を撮るために被災者の上を低空飛行するのは明らかに原爆の威力を資料として使った証だ。日本のバカ指導者がさっさと降伏すればよかったのだ。天皇制にこだわり、最後は天皇が自分はどうなってもいいと言われた。この辺の政府関係者の責任が曖昧のまま来ている。勝ち目があるのならともかく、無駄に兵士の命を奪った軍の上層部の無責任さ。米国が国際司法裁判で人道の罪で裁かれる日が来ることを信じたい。いつも見てもどこかに爆弾を投下している米国。今テロとしてその反動がきているわけだ。