直前!伊勢神宮の式年遷宮

皇紀2673年(平成25年)9月22日

【コラム】

「パワー・スポット」なんぞありはしなくても、伊勢の神宮は本当に不思議で、
 私みたいなね、穢れた人間が、自然の力で綺麗さっぱり洗い流される。

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130921/trd130921……
 ▲産經新聞:伊勢神宮、式年遷宮 毛利正守・皇學館大教授(上代文学)

 お伊勢丹は東京の新宿にありますが、お伊勢さんは三重にある「神宮」のこと。まぁこんな感じで始める話ですから、難しいことはさておき、十月二日には二十年に一度の「遷御の儀」が行なわれる。ついに式年遷宮だ。

 このご時世、国家全体が疲れ切っているのか「パワー・スポット」なるものの情報に溢れているが、どこか特定の場所へ行って「癒された」と思い込まないと、もうどうにもならない人が多いらしい。残念ながら、本当はそんな場所なんかなかろう。

 そう信じる私でも、神宮の御正殿の前あたりは、やけに空気が澄んでいるのが分かる。言ってみれば山や森の中はそんなものですがね、駅から近い外宮も、そこからバスで十五分ほど行く内宮も、何だかちょっと違うんですよ。私みたいなね、穢れた人間が、自然の力で綺麗さっぱり洗い流されるというような。

 鳥居をくぐって奥へ進むと、いくつかの御神体がおわしますが、これが石だったり木だったりする。そういうことが、あの感覚に繋がっていくんでしょうかね。何だろう、これ、っていう。

 外宮に祀られる豊受大御神(とようけのおおみかみ=トヨウケビメ)は、早い話が食べ物の神様。そういえば伊勢市は周辺から実にうまいものが集まる。内宮の前にある「おかげ横丁」でサザエやハマグリの串焼きを喰らい、讃岐うどんとは好対照な伊勢うどんを堪能し、宝永四年創業の赤福で五十鈴川を見ながら胃が落ち着くといった具合。私は次の参拝で、秘かに「手ごね寿司」を狙っている。近頃では伊勢海老や松坂牛を使った「三重県産フランス料理」もレヴェルが高い。

 全ての生き物が食わねば死ぬのであって、いただくお命の源は太陽だ。だから私たち日本民族の総氏神は、内宮に祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ=オオヒルメノムチ)であり、天皇陛下のまさに「皇祖神」であらせられる。

 天武天皇が御決めになり、持統天皇の御世に始められた式年遷宮は、皇學館大学の毛利正守教授がおっしゃる通り、二十年の都度に私たちの心が新たになるもの。そのような「仕組み」と言うか「機会」と言うかな、もう全部がもたらす自然と私たち人間の関係が、天皇陛下の「祭祀」によって表される、と。

 しかしながら「次は手ごね寿司を食べてやろう」なんぞと目論む私の、何と卑しいこと。「お伊勢参り」が流行った江戸時代の頃もそうらしいが、伊勢古市には、親が神宮参拝に出した少年を一人前にして帰す遊郭まであった。古代ギリシャでもディクテリオンという売春宿の収益で神殿の修復が行なわれたこともあったらしく、戦乱の時代で式年遷宮が中断され、荒れた神宮へ人と物とお金を集めるために始まったのが「お伊勢参りの流行」だ。

 自然があって生命が誕生し、性のたしなみがまた生命を誕生させ、それらがみな聖なわけよ。生きているってことね。あの神宮の清清しさは、ハタと呼吸そのものを意識し、生を感じるからなのかもしれない。

 文=遠藤健太郎 (真正保守政策研究所代表)

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『直前!伊勢神宮の式年遷宮』に1件のコメント

  1. 読者:

    アメリカなら、ホワイトハウス
    イギリスならビッグベン、
    フランスなら凱旋門、
    ロシアならクレムリン、
    中共なら天安門、

    こんなところでしょうか。
    日本人だけの専売じゃないことだけは、確かでしょう。