端午の節句は楚の文化
本日は端午の節句です。
この風習を「朝鮮半島起源だ」などと韓国政府が虚勢を張ったと伝えられたのは今から七年前のことですが、連合国(俗称=国際連合)教育科学文化機関が無形遺産に認めたのはあくまで「江陵端午祭」のみでした。
しかしながら、中共人民の多くがこれに激怒し、対抗する一部の韓国人が余計に激昂して、いつの間にか「端午の節句は韓国起源とユネスコが認めた」という話になってしまいました。つまり、韓国人の思う壺にはまってしまったのです。
そもそも中共人民の主張にも誤りがありました。端午の節句は一般に楚(現在の湖南省・湖北省あたりにかつてあった王国)が発祥の文化であり、中華人民共和国はこの王国との継続性がまったくない共産党革命国家であるため、仮にも「中国の文化」とは言えないのです。
ではわが国はどうかと申せば、幾年か前のこの日に申しました通り、もとあった「五月忌み」の風習と大陸伝来のこの風習が結びついたのであり、もともとは女性の祭りだったことが分かっています。
かえすがえすも、わが国は国興り以来二千六百七十二年も皇統が途絶えず、すなわち国家のかたちが変わっていないことに感謝しなくてはなりません。堂々と「これは日本の文化です」と言える喜びは、韓中両国の醜い「文化戦争」を見れば見るほど感じ、またやはり人は生命の継承こそ存在の証であるのだから、朝鮮人も中共人もいざとなれば伝統文化を持ち出して自分の存在意義を主張したがるものだと思うものです。
それが分からないのは日本人の破壊活動家(左翼という名のテロリスト)たちだけなのでしょう。せめて子供たちを菖蒲湯にでもつからせてあげなさいよ。