外国人投票で松坂市長暴走
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111204k0000m010086……
▲毎日新聞:外国人住民投票権付与 松阪市長、条例案変えない
条例による住民投票は、例えば地方自治法が定めるものと違い、公職選挙法の適用を受けないため、各自治体が自由に投票権を規定してしまいます。
このいい加減な仕組みそのものを改めない限り、わが国の地方行政に於いて、過去から未来への一切の責任を有さない外国人にまで重要なことを決めさせてしまうという致命的な間違いを放置することになるのです。
三重県松坂市の山中光茂市長は、外国人に投票権を与える新条例に市民から多くの反対意見がよせられたにもかかわらず、「外国人への偏見など低い次元の理由で否決されるのであれば、私を市長にしておく必要はない」とまで言い切り、強硬突破する考えを明言しました。
あたかも反対することが「外国人への偏見」からくるものであるかのように山中市長は思い違いをされていますが、先述のとおり、国政であれ地方行政であれ、私たちは先人から受け継がれたものの上に暮らしていられるのであり、これを一層よいものにして未来へと引き継がなくてはなりません。
その流れの中に、外国人はいないのです。どの国の、どの地方でも。外国に暮らす私たちの同胞もその国では外国人であり、その国に籍を置いて責任を自覚しない限り、富める時も病める時もともに乗り越えてきた流れを汲む人々と同じにはなりません。これが反対の根拠なのです。
山中市長がさらに大きな過ちを犯したのは、毎日新聞社の取材に対して「賛成している少数派と、反対の声を上げた少数派の均衡を考える」などと答えてしまったことであり、取材受け慣れしていないのか、もはや市民が投票することそれ自体を市長がこの一言で無力化してしまいました。
ならばパブリックコメントも住民投票も求めなければよいのであり、松坂市民の皆様には、地方自治法の定める解職請求(リコール)権の行使をご検討いただかなければなりません。あくまで松坂市民の皆様の賢明なご判断こそが求められているのです。
そして私たちは、地方自治体の条例のあり方について、総務省に法治徹底の改善を求めてまいりましょう。現在、鳥取県議会に対しても、韓国民団県本部団長ら5人の外国人が「投票権をよこせ」と訴えています。このようなことを全てやめさせるには、かねて申しました大阪府の教育基本条例案が考えつかれた背景も同様、いわゆる「人治」体制を認めている現行制度を一掃しなければならないのです。
皇紀2671年(平成23年)12月5日 1:10 PM
遠藤様、いつもブログを興味深く拝見させていただいております。
わが石川県加賀市でも「自治基本条例」なるものがいつの間にか通っており、外国人を含む”市民”が市政に関わる重要事項を住民投票で意見できることになっています。
おかしなことですね。
12月5日付けの産経新聞に、加賀市の教科書採択で市教委幹部が教育委員に圧力をかけたのではないかとの疑惑が持ち上がっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111205-00000072-san-soci
おそらくこの幹部は日教組からの圧力を恐れてこのようなことをしたのではないかと思いますが、我が市のことで本当に情けない限りです。
私は、暑い中、クーラーもない会場に教科書採択に関する意見書を書きに行きました。歴史教育の問題に3人の教育委員が意見したことは嬉しかったですが、それだけに、このような採択のされ方にはとても納得いきません。
なんとか、子供たちのためにも、将来の日本のためにも、我々国民の意見が正しく反映される仕組みを保っていかなければいけないと感じた次第です。
皇紀2671年(平成23年)12月6日 9:44 AM
松阪市の外国人住民投票権付与についての記事に驚いています。
市長がパブリックコメントの反対意見に耳を貸さず、強行するのは許せません。
<<その流れの中に、外国人はいないのです。どの国の、どの地方でも。外国に暮らす私たちの同胞もその国では外国人であり、その国に籍を置いて責任を自覚しない限り、富める時も病める時もともに乗り越えてきた流れを汲む人々と同じにはなりません。これが反対の根拠なのです。>>
心から同感します。 私は海外に住んでいますが、遠藤様のおっしゃるとおりです。 ここに住む日本人はみな、滞在国の法律を尊重し、その国民に受け入れられる日本人でありたいと日々暮らしております。
ところで、松阪市は、永住外国人の人口は 全住民の何パーセントなのでしょうか。 外国人と一口にいっても、その本国は どこなのでしょうか。
日本で永住権を与えられている韓国人が戦後65年日本に何をしてきたか。
ここ数年 韓国人より人口が増えた中国人が 今後日本に何をしようとして
いるのか、市長は考えたことが無いのでしょうか。