日本「技術大国」失格!
http://jp.wsj.com/Business-Companies/Technology/node_224280
▲ウォール・ストリート・ジャーナル:福島原発で活躍する掃除ロボット「ルンバ」の兄弟
福島第1原子力発電所が事故を起こした時、経済産業省はまず真っ先に「高濃度の放射性物質による人間の被曝を避けるため、遠隔操作出来る調査機を今すぐ出して建屋内部を調べなさい」と或る方に指示され、「そのようなものを持っていません」と答えて酷く怒られましたよね?
知らないとは言わせません。この或る方とは、民主党の何の役にも立たない政治家ではなく、経産官僚から意見を求められた有識者です。この方は「日本はこれだけの技術大国で、ヴァイオリンを弾く人造人間までいるのに、原発を保有しながら事故対応用の機械も開発していないのか」と激怒していました。
いわば菅内閣が「莫迦」揃いのため、官僚は自分たちで知恵を集積して事に当たろうともしているわけですが、それでも最終的には菅内閣の決断によるので、例えば米国の支援を受けるか否かといったような次元の問題にすら、迅速に対応してこれませんでした。
中には「早く米国の支援を受ければ解決するのに」という声があり、菅政権を批判する向きもありましたが、確かに現下は他国の支援を選別していられないほどの事態であると言えましょう。
しかし、前述の通りわが国自身がなぜ「パックボット」のようなものを開発、保有、完備していないのかというところに、歴代政権・経産省・東京電力による原発行政の無責任があり、国家安全保障を深く考えてはならないという米軍占領憲法による本来恥ずべき私たち全員に対する思考停止の奨励があり、よって災害対策も原発事故対策も一切の手引きがないということこそ大問題なのです。
わが国では昭和3年、先帝陛下御即位記念に出品された東洋初の人造人間「學天則」が西村真琴博士(ご子息は俳優の西村晃氏)によって発明され、以下は全くの創作ですが、映画化もされた荒俣宏氏の『帝都物語』では、工員たちの集団幻覚によって進まなくなった東京地下鉄道工事に借り出されます。史実だけを見ても、日本は機械装置開発に於いて最初から芽のない国ではありませんでした。
地下鉄工事に借り出されたというのは荒俣氏の創作(設定としては寺田寅彦博士が思いついて早川徳次氏と共に西村博士に頼みに行く)にせよ、人造人間の利用方法として著述家でも発想することを、高湿度でも曇らないレンズさえ造れそうな産業機の先進国である現実のわが国では誰も思いつかず、何もせずにきたわけで、米国の支援がどうのではなく、日本政府自身がこの事態を恥ずべきなのです。
中部電力の静岡県浜岡原発までも停止させようと圧力をかけている連中に申したいのは、問題の解決はそのようなことではなく、いざという時まで米国に頼らなければ事故解決も果たしえないことに怒りなさい、と。わが国の技術力は十分自立に耐えるのに、なぜそれが出来ないのか、占領憲法を放置してきた欺瞞を恥じて下さい。
皇紀2671年(平成23年)4月20日 8:27 AM
本当にそうですね。
占領憲法もそうですが、最大の危機・有事に対する備えというか、本能をなくしたのでしょか?
そもそも本能は、有るか無いかのどちらかだと、思うのですが‥
やはり、原発は安全!安全!と、洗脳させられたとしたら、占領憲法と全く同じですよね?
もともと、洗脳させられやすい民族って、事ですかね?
皇紀2671年(平成23年)4月20日 10:23 PM
東海地震が差し迫っている事に異を唱えるものはおそらく殆どいないだろう。地震により浜岡原発がどうなるのか?それは誰にとっても予測できる事。
100%急性死と言われる区域に居住している者の一人として、一秒でも早く浜岡を停止させたいと私も思う。そして、それは私の知る限り周辺地域の人々の共通の意見だ。
今回の震災、人災で、はっきりとした事の一つが「原発」の正体。その限界。
浜岡を始めとして、明らかに地震に耐えられない場所に設置されているものを廃炉にしたいと人々が感じるのは当然。
家族を、我が子を、地域を守りたいと思うのは本能。思想の右も左もない。ただ本能によるもの。
しかし、保守と自認する者の多くは原発に反対する者を批判するばかり。
確かに、原発を受け入れられない市民を取り込もうとしてきた左翼は存在する。
そして、保守は、資源のない日本にとって原発は不可欠、核を所有できない日本にとっての抑止力でもある事を主張してきた。
この構図は憲法問題に似ている。
平和を維持したいという人としての当然の感情につけこむ護憲左翼。
そして、占領憲法を甘受した上で改憲すれば良いという保守。
占領憲法は「憲法」ですらないという事実と向き合わずに、二者択一を迫る愚行。
尖閣を始め、日本には資源があるという事実。独自に開発する気概がない事が問題の本質である事と向き合わずに、原発の二者択一を迫る愚行。
私には同じ病にしか見えない。
数年前になるが、県内の某市、市民会館で行われた原発の安全を考える講演会に参加した事がある。元地震学会の研究者の公演を主としたもので、それ自体は左翼が主催したものには思えなかった。少なくとも来場者の大半は私と同様、ただ原発震災を危惧する一般市民だった。
しかし、出入り口にはガスマスクをした集団がビラを配っていた。内容は原発だけでなく、護憲を訴えるものだった。原発震災を防ぐ為にできる事をしたい、と望む一般市民のうち、このような活動に取り込まれてしまった者もおそらく多くいたのだろう。
そして今、原発の存在意義と真正面から向き合い、明らかに危険な場所は廃炉にすべきとはっきりと主張する保守はどのくらい存在するのだろうか。
家族を、地域を守りたいという当然の本能により不安にかられている人々の受け皿となる事のできる保守は存在するのだろうか。
私は真正護憲論を支持しているが、同時に原発の早期廃炉を訴える事に何の矛盾も恥も感じない。一刻を争う、そういう原発が何基も存在している。
>中部電力の静岡県浜岡原発までも停止させようと圧力をかけている連中に申したいのは・・・欺瞞を恥じて下さい。
今回の記事で仰りたい事は理解できるつもりだが、この最後の表現は、「圧力をかけている連中」に向けた文章であったとしても、この文章を目にした不安に駆られている一般市民からの理解を得る事は難しいだろうと思う。
皇紀2671年(平成23年)4月21日 12:10 AM
私が原発賛成派でも反対派でもないことは、ここで既に断わってきました。それは特に、厚生労働省からもたらされた情報や、独国気象庁、仏国放射線防護原子力安全研究所などのデータをご紹介し、事故の深刻さをお伝えした時、気をつけてきたつもりです。下手をすれば、私が原発反対派だから危険を訴えているのか、と思い込まれてしまう可能性がありました。
また、メディア報道がこぞって使った「安全神話の崩壊」という文言にも異議を唱え、「そもそも安全神話などない」と書いてきました。そのような思い込みが、いざという時の手引きすらない現実を物語っており、或いは今後考える際に於いても有効なものを作成しえなくなる、ということも連日指摘してきたことです。
今回私が申したかったのは、以前から指摘してきたように、わが国の原発行政がいわゆる米国製であること、歴代政権・経済産業省・東京電力「三つ巴の無責任」であること、そして福島第1原発事故の深刻さを最も煽ってきたのが米国であることなどを念頭に、ただ原発を消せばよいという後ろ向きな考えではなく、私たち自身の手で原発行政を組み立て直すという前向きな提言でした。
常々の想いを繰り返してそれを前提と断わらず、結果として今回の記事だけをお読み願う時、言葉足らずになりましたことをお詫び申し上げます。