根拠なきヘイトで人が死ぬ

皇紀2684年(令和6年)10月4日

 宮崎空港で二日午前八時前、滑走路近くで爆発が起き、米国製の五百ポンド集束焼夷弾が原因だと分かった事件は、かつて米民主党がわが国を火の海にし、あまりに多くの民間人を虐殺した「戦争以外の犯罪」を改めて思い出させました。

 陸上自衛隊目達原駐屯地の不発弾処理隊がその原因を突き止めてくれましたが、実は昨年度だけでも二千三百件を超える不発弾処理が未だに行われており、約八十年前の爆弾が劣化せずに爆発したことは、今後地震などの刺激で地中に撃ち込まれた爆弾が同様に爆発するかもしれません。

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 イスラエル・リクードのベンヤミン・ネタニヤフ首相による「腐敗を極めた自身の権力を維持する目的」で始まったパレスチナ人大虐殺は、いよいよイラン(義国)の対イスラエル攻撃を、必ずしも義国がパレスチナ側ではないにしても誘発しました。

 その背後では、ウクライナ侵攻と同様にやはり米民主党政権が暗躍しましたが、中東の混乱を「二枚舌外交」で創出した英国(大英帝國)に、新興の米国が利権で上書きしていくさまは、つくづくわが国がいわゆる「東京裁判史観」なるものを盲目して受け入れた大東亜戦争後の世界が大間違いだったことを痛感させるのです。

 決して「かの国」のような執拗且つ出鱈目なヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)で、米民主党を誹謗中傷し続けようというのではなく、独ナチス党が断罪されたなら米民主党はどうであったか、という問題提起を怠ってはなりませんでした。

 米ニュー・ヨーク市に今なお連合国(俗称=国際連合)を名乗る組織の本部があり、ことほど左様に「勝てば官軍」を目指して人と人が殺し合っている人類世界は、到底まともではないのです。私たち日本人は昭和二十年八月、ポツダム宣言を受諾することで終戦を決断したからこそ、このような秩序を許していてはいけませんでした。

「根拠のないプロパガンダ」が暴力を誘発か 中国深圳の日本人男児殺害、トランプ氏暗殺未遂、安倍元首相暗殺…憎しみ煽る「民主主義の敵」(1/3ページ)

中国広東省深圳の日本人学校に通う10歳の男子児童が殺害された事件をめぐっては、背景に中国の「反日教育」の存在が指摘されている。国際投資アナリストの大原浩氏は、…

(zakzak:夕刊フジ公式|産經新聞社)

 許されざる秩序を糾弾する上で、米民主党に続いて見過ごせないのが中共・共産党です。前述の「かの国」の一つでもあります。

 しかし、国際投資アナリストの大原浩氏の指摘通り、そうした執拗且つ出鱈目なヘイトが世界中に転がっており、人が人を殺す理由にまでなっていることは、私たち日本人もよく肝に命じて行動しなければなりません。

 ことに日頃は「反戦・非核」「平和」「人権」を声高に叫び、それらを守るようなふりをしてきた左翼・極左が安倍晋三元首相暗殺事件に接し、「殺されて当然」との論陣を張ったことは、そのまま「現行憲法(占領憲法)は平和憲法である」という彼らの言説がいかに出鱈目であったかを自ら証明した一種の事件でした。

 米軍にひれ伏しながら「少しは私のことも気にかけてくれ」とだけ声を出してみるような左翼・極左のいわゆる「反基地闘争」は、全く惨めな戦後秩序の露出でしかなく、自己というものがまるで存在しません。

 私たち日本人は、概して「日常に於いて自己肯定感や幸福感をほぼ得ていない」と言われますが、自分で立つことをやめて米軍にもたれかかりながら訴える「平和」や「人権」に、そもそも私たち自身を肯定する要素が一切ないのです。

 奇しくも安倍元首相がそうした戦後秩序を「改めよう」と訴え続けて殺されてしまいましたが、それは、わが国の政治家が米民主党や中共産党に「逆らうと殺される」ことを意味しました。だからこそ岸田文雄前首相は、徹底して米中の言いなりになり、同類の石破茂氏を後継に据えようと工作までしたのです。

 私たち国民が自己を肯定し、幸せな日日を送るには、一見さわやかな現行平和論や人権論の大きな間違いを見破らねばなりません。石破氏の登場で「アベ政治が終わった」などと言っている左翼論壇がいかに私たちそのものを壊してきたか、ハタと目を醒まして自分自身を見直さねばならないのです。

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『根拠なきヘイトで人が死ぬ』に2件のコメント

  1. 波那:

    ▽Deer kicking! Japan hate goes NEXT LEVEL!
    https://youtube.com/watch?v=qwklwvU02GY&si=rHJio4am8METNYts

    このチャネル主は香港人なのか、台湾人なのか、それともシンガポール在住中国人なのか正体知らないのですが、内陸部で撮影した生の中国人の生態を世界に知らせています。この動画でも中国では日本人ヘイトが浸透しているのが克明に分かります。非常に粗野で危険で不気味な人達です。この民族を日本の宝とか…何も知らない頭お花畑にも程があります。政治屋さん達も生の中国の実態をもっと知った方がいいと切実に思っています。
     この中でも、この人がNanjing massacreをIt’s trueと言ってますが、Nanjing massacreの事は日本関連の動画に必ず中国人がプロパガンダしに現れるので、もうテンプレート作ってその度に貼ってます。

    Have you ever tried to research these things as followed?
    Have you ever suspected for even a moment that this is their propaganda?

    At that time, there were many foreign residents in Nanjing, and correspondents from major news agencies and newspapers such as Reuters, AP, and UP were also stationed there. There were also a large number of Japanese war correspondents who entered Nanjing with the Japanese army. If there had been a massacre involving 300,000 people, it would have been featured in world news. However, the number of burials at that time was announced as 1,800, but these were thought to be the bodies of soldiers before the fall.
    それと日本軍が南京に入城した時、蒋介石の国民党軍との戦闘があった事も。
     もう世界中の隅々にまで浸透されてしまい、みんなみんな信じています。もーどうしようもない。外務省は何もしないで放置されてる間に、こんな事にされてしまい、仕方ないので出てきたら地道に貼ってます。よく事実で詰め寄ると執拗に返信が来て絡まれるのですが、これについては絡まれた事はありません。私の目標は読んでる人に中国がやってるプロパガンダではないかと思ってもらう事です。中国人の邪悪さを止めたり出来ないですから。

  2. ナポレオン・ソロ:

    241004―3 漸く日本の世論が覚醒する契機が訪れたが80年目です
    今晩は ソロです。
     遠藤さんの話は納得の行く話だし、その問題の本質に迫って居ます。 但し、本質に辿り着くのに80年は余りに時間が懸かり過ぎですネ。 そして、遠藤さんが取り上げている所謂、サヨク・極左集団の正体も近年次々と明らかに成って来て居ます。 其れは譬えば、「大地の牙」の様な、実は、アイヌや被差別部落民を構成する日本の少数民族だったのです。

    日本は1民族国家で、日本には民族問題は無いかの様に言われて、半端、社会常識の様に、語られて来ましたが、日本も他の国と同様、多民族の「寄せ集め国家」の要素が強いのです。 然し、こう言う歴史的事実を隠さないと、特に九州や山陰に盤踞する海人族自体が、多民族の構成なので、是では天皇の許に国家が1つに纏まらないと言う懸念があった。

    是が、紀元前550年~紀元前90年迄日本で続いた「倭国大乱」の結末だったが、宮内庁資料に因れば、この期間を「欠史八代」と呼び、この期間約500年、大和朝廷が九州の太宰府に拠点を置き、恰も遷都したかの様な状況が続いたが、その間も近畿の拠点は、譜代の重臣の大伴氏が500年間に亘り下剋上ボ策謀と戦い乍、留守を守り抜いたのです。

    10代の崇神帝の時代に平定が粗終了して、大和の地に帝が凱旋したが、その後も海人族は度々事件を起こしたので、都度、調整は討伐軍を派遣しているが、その最大級のモノが、13代仲哀帝と妻の神功皇后の「三韓征伐」で、征伐軍に同伴した皇后は懐妊中だった。なのに、九州に着くや否や、反乱軍の中枢の熊襲軍が放った矢に仲哀帝が倒された。

    征伐軍は、もう一人の譜代の重臣だった久米氏と、征伐軍の副指揮官でもあった皇后の父君である竹内宿祢が替って総指揮執り、先ずは半島で日本の仲介貿易に不満を持つ新羅を中心とした三韓の連合軍の平定が先だと、熊襲は久米氏に任せて、征討軍は皇后と共に海を渡った。三韓軍は余りの速さに驚き、新羅軍が最初の裡抵抗した位で直ぐに降伏した。

    此の戦いの最中に皇后は男子を出産、是が後の応神帝である。 討伐軍は九州に取って返したが、熊襲の抵抗は九州の山岳地帯や島々に分散していたので、是を平定するのに40年間を費やしたから、赤ん坊だった応人帝も40歳を迎えていたし.既に母親の皇后も祖父に当たる武内宿祢も身罷って居た。大和に凱旋した応神帝は留守居の大伴氏を労い帝位着いた。

    是が宮内庁が言って居る皇統紀の粗筋であるが、40年に亘る帝の幼少期~青年期のご様子、将又、祖父や母君との今生の別れの経緯等は一切不明なので、応神帝別人説迄ある位ですが、この辺りは久米氏・大伴氏の重臣間の情報交換が密だったと考える他は在りません。 然し、こうした謎をそのままにして措けば、何れ反乱の火種になるのも確かです。

    事実、大和では吉備や丹波の豪族に因る、応神帝の従兄に当たる皇子を不在の天皇の「跡継ぎ」として建て様とした陰謀が2件起きていますが、何れも大伴氏によって未然に阻止されています。私が感心するのは、是だけの勢力を持って居たのなら、何故自身が帝に立とうとはしなかったのか?と言う事ですが其れだけ大和朝廷の求心力が強かったのです。

    亦この辺りが「倭国大乱」で多くの民衆が500年間も満足に農業を続けられない環境の中で多くの犠牲者を出し乍も耐え抜いたと言う、世が平和である事の有難さが、日本人の身に沁みている原因でしょう。 倭国は、15000年以上続いた縄文の昔より、戦の跡が見当たらない国だったのが、シナの本土から戦火が飛び火して来たのが倭国大乱の原因です。

    なので以後、渡来人は新たな知識を持って居て、彼らの知識が社会に画期的な進化を齎すのは承知成れど、同時に致命的な戦争を持ち込む事が深く認識されて居ますし、巨大災害や火山の噴火や巨大地震で日本人同士は扶け合うのに、渡来人は他人事なのが普通なので、自然に付き合いが疎くなる。

    だが、日本人は彼らが災害に遭ったら同じ様に扶けていたが、彼らの常識には「扶け合う」と言う常識が無いので、次第に其れもしなくなったのは、彼らが扶けて貰っても感謝はその場限りで、自分が他を扶ける事は頭から考えないし、弱った相手は、全てを奪うチャンスの様な怪しからヌ行動を採るものが居るが、其れを罰したり、諫めたりしなかった。

    だから、倭国大乱の時に彼らは散々な目に遭い、絶滅したか、半島経由で大陸に逃れた。斯うした異民族は1つや2つでは無かったと思いますね。だから日本人は日本の常識を持った民族として、オソラク欠史八代の末期に、崇神帝の父君に当たるか開明帝の時代に、帝を民族の和合の象徴とする事に皆が同意して、新たな日本がスタ-トしたのだと思います。

    その集まりの中には後に平定される熊襲や隼人族の海人族の勢力や、縄文期の初期から日本列島の各地に勢力範囲を広げた蝦夷族は一部しか入って居なかったので、後に征蝦夷大将軍の様な軍隊を纏める組織が出来て、蝦夷が征伐の対象にされたが、彼らの殆どは平和的且つ友好的だったので、前9年後3年の役を行った源義家は、蝦夷と和睦している。

    それは敵将アテルイの首を偽って京に持ち帰って、関係者を謀ったが、義家が蝦夷勢と和睦している事が蝦夷出身の坂上田村麻呂を通じて確認出来たので、そのまま認められ、以後、関東以北は源氏の本拠地になった。東北には、日本海の向い側の沿海州からの亡命民族のツング-ス族系の人々も沢山居たし、九州が平定したのは720年の隼人大乱の後です。

    日本では人間よりも遥かに、自然の猛威の方が強大なので人間同士が争う意味が無い事に気が付いたのは、氷期の終わり頃とかなり前の可能性が高いが、西洋では青人も白人も、自分のたちの敵は目の前にいる同じ人間だと言う認識から今も抜けdせていないのが彼らの低いんモラルの現実です。

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