中国の野菜なんか買わない
異常な円高が幾ばくか緩み、政府(資産運用)も大企業も「大儲け」にもかかわらず、国民経済が致命的閉塞感に支配されているのは、官民を挙げた武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂騒の経済停滞を経て、回復の好機を生かさないどころか全く逆の政策をとっているからです。
円高であらゆる産業や人の海外流出を招き、円安になれば変わらない低水準の給与に対して物価の高騰を嘆く私たち国民を、財務省らが嘲笑っていることでしょう。岸田政権のあまりに無能なさまは、そのまま鏡に映った私たちの姿かもしれません。
いわゆる「円高デフレーション」からの脱却が長年の課題でしたが、ならば円安に強い国内生産・国内雇用を推進しなければなりませんでした。農業をはじめ、出来る限り輸入に頼らない国づくりを政府が強力に主導しなければならなかったのです。
これを言い続けてどれほどの年月が経ったでしょう。円と物価が正常値を目指し始めても内需が委縮したままですから、給与が上がらないという最悪のスタグフレーションを招いてしまいました。
中共経済もいよいよ誤魔化しがきかなくなり、韓国よりもさらに深刻な若者の大量失業(未就)を招いて、共産党報道が対日優位を煽ることで人民を鼓舞する作戦にでも出たのでしょうか。
中共産品に対する根強い不信は国民的で、しかしながら企業は、加工品の原材料などに中共産を潜り込ませています。本来ならば輸入経費(無駄なコスト)を削減し、国産を使うほうがいいのですが、必要な量の国産品がないのです。
気象に左右される話ではなく、根本原因が内需回復を後回しにしてきたからで、その解決法は、これまでここで述べてきた農業の再生(農業協同組合問題)と消費税の廃止(人件費削減問題)という大きな二本柱にあります。生産性を下げるよう誘導する政策は、全て排除しなければなりません。
そして、もう一つが「人を物のように輸入するのをやめる」ことです。三十年以上も経済が沈滞し、少子化を進行させたわが国がそれでも一億二千五百万もの人口を抱えて「人が足りない」というのは、政策と教育と私たちの思考力(扇動された世論とも言う)が全て低俗化したからにほかなりません。
勤勉で手先が器用と言われるヴェト・ナム(越国)人を「消費」し、国難を迎えたミャンマー(緬国)人を「喰い散らかし」にかかろうというなら、私たち日本人は、もはや真っ当な人間ではありません。そのような認識がありますか? 左翼の言う「人権」「外国人と共生せよ」とは一体何なのか、ふと立ち止まって考えてみましょう。
経済が死へ向かっている中共からも大いにやってくるのですが、東南亜や南亜の人びとと違うのは、中共人は企業経営側になろうとすることです。政策的移民が低賃金で酷使される横で中共人は、いわば「ホワイトカラー」を私たち国民から強奪していきます。
内需の死んだわが国に「もう経済移民など来なくなる」と申したことがありましたが、越国の現状がそれを表し、一方で国家が混乱を始めたところからは、従前よりどっと押し寄せるのかもしれません。
そこには必ず「移民利権」が発生し、まるでイナゴのように対象国を転転としていきます。わが国は、すなわちまだまだ絶大に安定した国家なのです。
私たち国民自身がそれを見失っています。私たちの「日本」が素晴らしい国であることを忘れているのです。今季は野菜の値が高いですが、中共産を買い漁るほど落ちぶれてなどいないのです。