歴史修正主義はどっちだ!

皇紀2670年(平成22年)12月21日

 日本会議大阪日台関係研究会と、日本と台湾の未来を考える会は19日、大阪市内で「第2回日台関係講演会」を開催し、西村眞悟元防衛政務官、田母神俊雄元航空幕僚長、三宅博前大阪府八尾市議会議員、惠隆之介拓殖大学客員教授が登壇しました。

 先の3氏による政策提言はここで何度も取り上げてきましたから、今回は惠先生のお話しがどのようなものであったか、少しご紹介したいと思います。

 沖縄県のご出身元海上自衛官だった惠先生は、作家・ジャーナリストとして、例えば『海の武士道 DVD BOOK』などで知られており、ここには大日本帝國海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」工藤俊作艦長が、ジャワ島北東部のスラバヤ沖で別の日本海軍艦に撃沈された英国海軍駆逐艦「エンカウンター」の漂流者約400名を救助するよう決断、乗組員ほぼ総動員で実行したという史実が取り上げられています。

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 この工藤艦長の決断は、ややもすれば同胞の生命を危うくするものであり、するからには人一倍の注意を払わねばならなかったはずです。それが生命の危険と常に向き合う戦時下指揮官の責任でした。今もって救われた感謝の気持ちを忘れない英国のサムエル・フォール元少尉が訪日しなければ、生前の工藤艦長(昭和54年没)はご家族にさえこの敵兵救出劇を語られなかったそうで、誰にも知られずじまいになっていたかもしれません。

 日本軍人には「己を語らず」という至誠があり、例えば日本の陸軍大学校に学んだ朝鮮人の洪思翊陸軍中将も、連合国軍に戦争犯罪人として処刑されるに至るまで、軍事法廷では一切自らを弁明しませんでした。しかし、他の戦犯被告人を弁護するためには積極的に証言しており、その裁判記録が残されています。

 工藤艦長の示された「武士道」について申せば、英国人のフォール氏と惠先生、そして平成19年にこの史実を元にした番組を放送したフジテレビによって、広く知られることになったのです。

 国を問わず、戦時下にはいくつかの「美談」とされる史実が存在します。ほかにも杉原千畝領事代理(リトアニアの在カウナス領事館)が独国に迫害され逃れてきたユダヤ人にいわゆる「いのちの査証(ビザ)」を発給したことは有名です。

 ところが、このような話をすると必ずと言ってよいほど「日本の軍国主義を美化している」と批判されてしまいます。はっきり申しておきたいのは、これは「美化」ではなく、史実を伝え残そうとし、その目的が先人の善い行ないに学ぼうとすることに他なりません。

 南京大虐殺や従軍慰安婦の物語は、それを史実と主張する方々が否定する論述に対して「歴史修正主義」(歴史学に於ける用法とは別の意)或いは「歴史修正主義者」と非難しています。また、沖縄県の集団自決に関する議論でも、まったく同じ批判の応酬合戦が生じてきました。

 惠先生は、琉球王国(琉球國)最後の王朝である第二尚氏が搾取型の統治を行なっていたため、基本的に沖縄県民は「琉球回帰」よりも日本に組み込まれた琉球処分を歓迎していたにもかかわらず、なぜか(中共の思惑に乗じる不思議な日本人がいるお陰か)「沖縄は常に日本に虐められてきた」との考えが広められつつあることを指摘しています。

 また、在日米軍基地の70%以上が沖縄県に集中しているという報道なども、これは敢えて専用基地のみではじき出された数値であり、自衛隊との共用基地面積を入れれば全国の30%以下に過ぎないという事実を覆い隠そうとする或る種の情報戦に(占領体制の継続により自前の国防を前提とした日米同盟すらままならない現実はあるが)私たちはまんまと敗北させられてきました。惠先生によれば、米国政府関係者すら騙されかかっていると言います。

 さらに、大東亜戦争末期に地上戦と化した唯一の国土が沖縄ということになっているのも、南樺太などでの対ソ地上戦をなかったことにする「歴史修正」であり、ここに北方領土返還を封殺し、沖縄県を日本から離反させる国家解体(極左革命)運動の主旨が見え隠れするのです。一体どちらが「歴史修正主義者」なのか、疑わざるをえません。

 軍令なくして沖縄県民の集団自決はありえなかったとする一部の主張にも、彩帆(サイパン)島民に比して沖縄県民に対する侮辱だとして、惠先生は大変怒っておられました。戦争ほど哀しいものはありませんが、集団自決という戦い方まで繰り出された先人たちの想いは、私たちの想像を絶しており、理解出来ないからといって妙な辻褄あわせは完全な「歴史修正」です。

 私は『日本書記』がいわゆる多説併記型であることから、国史教育もこれに習えばよいと訴えています。南京大虐殺も従軍慰安婦も、あった・なかったを併記すればよいのですが、日本を「悪」とする日本の教育では「善」を排除するため、この公平・公正な検証作業が叶いません。

 人間には偏見も傲慢もありますが、善くあろうと努め、そう願います。当然のように「悪」ばかりが喧伝されてきたので「善」の部分を語って人間の「善」とは何かを知ろうとする人たちが出てきたわけですが、そのような人たちを「悪」を語る人たちが「ストップ! 歴史修正主義」などと叩き潰そうとすることこそ「歴史修正主義」ではないのかと問いたい。

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『歴史修正主義はどっちだ!』に4件のコメント

  1. ストリートマン:

    「物事は比べて見ないと判らない」といいます。比較する事から始める事を忘れています。又「軍隊悪」と言う、戦後の「神話」を早く取り消す事をしなければ成りません。

  2. matu:

    日本の武士道はそれは美しいと思いますし、否定はできません。しかし、現代どれだけの人が理解し自分の生きる指針として取り入れるでしょうか。過去の美談が、今に生きないのはやはり何か間違っていませんか。哀しいことです。400名のうちの一人にしか通じなくて、日本人さえ知らなくて、今になって声を上げて知らされても、実を結ばない。ここまでやられっぱなしの日本人の愚かさを、また思ってしまう・・・ただ言い返しているだけでは、勝ち目がない。根本的な戦略が必要です。世界最古の我が国体の中にその叡智の中に、それは厳然と在るはずですよね。

  3. すずき:

    頭で考えることをやめてしまった人でしょう。人の話を聞かないのだからまともではないですよ。そんな人に人を非難する権利なんかないです。

  4. アメリカから観た硫黄島の戦い:

    硫黄島の占領は予定では5日間ということであったが、激戦死闘の反復がほとんど月余にわたって続いた。 3月15日にやっと全島の確保が宣言されたが、25日に至って潜伏中の日本守備隊が全進してきて最後の壮烈な攻撃を行った。 しかし、ついに日本守備隊はわずか200名の捕虜を除いてここに全員が玉砕した。 硫黄島攻略戦は攻撃軍の死傷者が防衛軍の損害を上回ったことで知られている。 実に上陸軍と艦隊乗員のうち約7千人が戦死または戦傷死を遂げ、負傷者は1万9千人という多数に達したのである。