ノイジーマイノリティ公害

皇紀2681年(令和3年)12月29日

イケアCMも「女性を下僕扱い」と大炎上。「戸定梨香」「温泉むすめ」など、2021年に頻発した“フェミニスト激怒”案件のその後

世界的に人気の家具量販店「IKEA」の商品PR動画の内容を巡って、フェミニストの方々が激怒し、大炎上となっている模様だ。…

(MONEY VOICE)

 二十六日記事で東京大学某名誉教授の差別主義丸出しのフェミニズムを取り上げ、いよいよ女性首相誕生の好機を伺うところでこれらの問題を指弾しておかねばならない、と翌二十七日記事で申しました。

 本年もさまざまなポリティカル・コレクトネス(綺麗事莫迦)を目にしてしまいましたが、昨年に引き続き武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂乱で「動くな、稼ぐな、楽しむな」に従った無思考な人びとが暇を持て余して余計なことに「ない頭」を使ったせいかもしれません。

 大体、人は暇になると碌なことをしないものです。

 上記記事にその詳細が掲載されており、いわゆる「自覚なき実は差別主義者」という少数派が必要以上に騒いで企業を叩き、服従させようとしている事情までツイッターにさらけ出しています。

 イケアの日本法人がなぜ他国での同商品映像広告(コマーシャル・メッセージ)とは違うもの(日本での顧客向け)をかのように自作したのかは不明ですが、多様性(ダイバーシティ)を叫ぶ人びとこそ最も他人の価値観にいちいちケチをつけ、思想を統一させたがる全体主義者(ファシスト)と指弾せざるをえない現象が起きてしまった以上、安易に謝罪・撤回しないでもらいたいものです。

 夫婦と子供の三人家族という一例を設定し、夫が食事を運ぼうが妻が運ぼうがそれぞれの家庭の自由であり、妻が運んだから女性蔑視だとはとても断定できません。飲み物とお菓子を妻が運んできたというだけのその家庭の価値観を踏みにじっておいて、女権も人権もないのです。

 或いは、ここまで理性をこねくり回すなら申しましょう。あなたがた差別主義者が見て騒いだソファに座った成人を、なぜ夫(男)と決めつけましたか? この成人の性自認は、女性かもしれません。多様な世の中ですから外見差別(ルッキズム)を振りかざして当社広告を誹謗中傷するのはおやめください、というのはどうでしょう笑笑?

 日本放送協会(NHK)の「紅白歌合戦」についても、いよいよ紅白に分かれて男性軍と女性軍が歌合戦をするという番組の基本構成自体が本年で終了するという噂まで流れています。

 もう二十年近く見てもいない番組に興味はありませんが、それは私個人の勝手として、この番組の意義は恐らく、基督教暦とはいえ年末の大晦日に豪華男女歌手陣を揃えてすべて国民に楽しんでもらおう、そして紅白配色で縁起よく締めくくろうというものに違いありません。

 どこまでも綺麗事莫迦に迎合して差別主義に屈する自称・公共放送なら改編してしまうのでしょうが、男女を紅白に分けるような「性差別」をせず、形式でも合戦などという「物騒な戦争賛美」もせず、もはや歌手たちに必要とされていない番組でついに大した出演者を確保できなくなり、再来年辺りにでも完全に終了してしまえばよいのです。

 すべてとは申しませんが、もう多くの国民にも必要とされていない放送局ですから、再来年辺りにでも停波してしまえばよいでしょう。

 私たちは、多くを必要以上に受け入れ表現を拡大すれば、必ず多くの人びとにとって不快な現実しか待っていないことを知るべきです。多様性とは、その多くの不快を是認できるかということにほかならず、よってさまざまな価値観を静かに認識し、表現者を尊重することで人類が平和に生きながらえていくべきなのです。

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『ノイジーマイノリティ公害』に1件のコメント

  1. ナポレオン・ソロ:

    ソロです。
    今年も余す処後三日、明日は晦日、明後日は大晦日、今年もお終いです。 早いですね、殊に60歳を過ぎてから1年が経つのが早くて何時の間にやら70歳が近づいて来ました、昭和の有名人も次々と鬼籍に入られて行くので、時の流れを感じてしまいますが、確実なのはそれだけあの世が近付いているって事ですね。

    に、しても、昔と比べて弁護士や裁判官、法律系の大学教授の左傾化は酷くて、特に、欧米留学した「エリート」は、無条件に欧米信仰を受け入れている場合が多く、頭の良し悪しじゃなくて社会人としての良識が全くなっていない人物が世の中枢の仕事をしているのを知って驚く。

    社会に「聖職」と目される専門家がいなくなって久しい、特に教育関係者の質的劣化は目を覆わんばかりだろう、子供を劣情の対象にする教師、官僚や公務員、大企業のエリート社員等々、誇りは何処へ置き忘れて来たのか、それとも、固より持っていないのか

    此れでは、学業半端で日本国の未来を護る為に、一命を捨てて戴いた若者達が、黄泉の国で如何なる無念の思いをしている事か。

    そう言う公を護る為に一命を投げ出す、滅私奉公を平気で否定しているのが「進んでいて知的なのだ」と、敗戦したから「古い考えは捨てる」事が良い事だと思い込んでいるが、本当にそうなのか? と、疑問を抱く迄にも至っていない理性の幼さは、寧ろ、こうした、エリートにこそ多いのではなかろうか?

    このままなら、日本は近い将来自らに手で国を滅ぼすだろう。そうならない為に、日本の本来の姿を確り知って「古いものを掘り下げた処に真理がある」事を認識出来る、世の理性の復興こそ今必要なのだとと思いますね。