「日本人の誇り」は正しい

皇紀2681年(令和3年)11月20日

 米メジャーリーグ機構は十九日、今季のアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)にロス・アンジェルス(アナハイム)エンゼルスの大谷翔平選手が満票で選出されたと発表しました。おめでとうございます。

 日本人選手のMVP受賞は、二十年前に当時シアトル・マリナーズのイチロー選手が選出されて以来二人目の快挙です。

 そのイチロー選手も、同球団十人目の殿堂入りを果たしたことが十七日、分かりました。本当におめでとうございます。

 奇しくもこのお二人は、特に日本人としての立ち振る舞いが話題になった野球選手であり、イチロー選手はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表を率い、大谷選手はそのあまりのお行儀の良さで米国民を感嘆させました。

 今回の満票受賞は、そうした大谷選手の愛すべき人柄も十分考慮された結果でしょう。

 この吉報を受け、私たち多くの国民が「おめでとう! 日本人の誇りです」とコメントしていることに対し、一部SNS上で「大谷選手が凄いのであって、日本人は凄くない」「ナショナリズムをひけらかすな」などとルサンチマン(弱者が強者に抱く怨念や憎悪)を爆発させる珍妙な連中が出没しています。

 大谷選手のような優れた野球選手が現れるのは、まず彼の先祖代代受け継がれた生命育った環境によるもので、それらは紛れもなく日本人が作り上げ、守ってきたものです。

 その喜びを多くの国民で共有して何がいけませんか? 子供たちが何かに打ち込め、大人たちがそれを育んでいくことの喜びを再認識して何がいけないのでしょうか。

 もっと短絡的に申しますと、多くの世帯が野球のバットやグローブを買える国家的経済力や、あちこちに大小の野球場がある社会基盤(インフラストラクチャー)は、まさしくわが国が先人以来コツコツと積み上げてきたものに他なりません。

 日本人が日本人の誇りを感じて何がいけませんか? それを否定する言動こそヘイトスピーチ(憎悪扇動)なのです。

 教育は、結果が全てではありません。たとえ野球に打ち込んで名選手になれなくても、努力した過程に人生の意味があります。

 大谷選手を見て誇りや憧れを抱くのは、大抵の人が自身の何らかの経験を通してその過程を知っているからです。それを大切にしたいだけの話ではありませんか。

 だからこそ素直に誇りや憧れを表現する権利がすべて国民にあり、やはり国家経済を浮揚させることの政策的重要性を政府に思い知らせなければならないのです。

スポンサードリンク

『「日本人の誇り」は正しい』に2件のコメント

  1. きよしこ:

    もはや「同じ日本人として誇らしい」とさえ申し上げるのも烏滸がましく感じるくらい雲の上の存在になってしまった大谷選手ですが、闇雲に「日本人スゴイ、日本万歳!」と言うつもりはありません。彼の才能も努力も実力も国籍や民族で語れる次元ではないと感じるからです。しかし日本人として誇りに思うのも我が国の国柄に才能の素地を見出すのも個人の自由であり「日本はすごくない、ナショナリズムがフンダララ」などと口にするのは極めて卑小で醜い考えと断じざるを得ません。

    そもそも彼の先輩である菊池雄星や、父親を震災で失いながら高卒2年目でプロの先発ローテーションに食い込んだ佐々木朗希、そして早くも「スーパー1年生」と話題の佐々木麟太郎など、岩手県で怪物選手が多く輩出されるのはその土地に何らかの下地や土台があるのだろうと考えるのが普通です。国家や故郷といった概念を大事にしない連中に「日本が凄いわけではない」などと罵られる筋合いはありません。そうならそうと正直に言えばいいのです。「私は日本が憎い。だって私は日本人ではないのだから」と。

  2. 不良ジジイ:

    こういった、こじらせた世を拗ねた方達には何を言っても無駄だと思います。
    ある意味一種のクレ−マ−だと思います。
    相手にせずスルーするのが得策かと思います。