大谷選手が通訳つける意味

皇紀2681年(令和3年)7月17日

 森田芳光監督の映画『家族ゲーム』や『それから(原作=夏目漱石)』、伊丹十三監督の『お葬式』や『マルサの女』などの撮影監督だった前田米造氏が六日、亡くなられたことを十三日にかつて所属だった日活が発表しました。衷心よりお悔やみを申し上げ、これまでのご活躍に感謝申し上げます。

 確か伊丹監督の著作に、前田氏を撮影に起用した理由が「大声を出して俳優を威嚇したりしない人だから」とあったのですが、まさに映画の語り部である監督の、その語り部たる役割を最大限に引き出す能力にたけた素晴らしいキャメラマンでした。

 訃報といえば、ヴァイオリンを習っていた私にとって辻久子さんが十三日に亡くなられたのもショックでした。関西でヴァイオリニストといえば辻久子先生でしたから、衷心よりお悔やみを申し上げます。

 しかし、思わず首をひねりたくなるような話もありました。世界的なヴァイオリニストのピンカス・ズーカーマン氏といえば、ヴァイオリンを習っていて知らない者はいません。それほどの人物が「韓国人たちは歌わない。それは彼らのDNAにない」と発言したのですから、驚きと共に呆れました。

 その韓国人練習生が「いえ、私は日韓のハーフです」というと、ズーカーマン氏は「日本人も歌わないのは同じこと」といい返したそうで、そこには間違いなく黄色人種差別があったと思います。何もそれほど意地になっていわなくても、というところに。

 この報道は韓国を駆け巡りましたが、あまりわが国では取り上げられませんでした。彼は現在、マンハッタン音楽院の教授で、ジュリアード音楽院主催のオンライン授業での発言だったため、米国内では音楽界を中心に大騒ぎになりました。

 また、ロス・アンジェルス・エンジェルスで活躍する大谷翔平選手に対しても、米ESPNの番組司会者スティーブン・A・スミス氏が「その(野球の)一番の『顔』が通訳を必要とする男だというのはマズいんじゃないか」などと発言したことにも、米国内で「日本人差別だ」と大騒ぎになりました。

 十一日記事でも申しましたが、かつて欧米に対し、東洋から大日本帝國たった一国で黄色人種差別と闘い、その地位を勝ち取った歴史を振り返りますと、私たちはもう少し憤ってみせても構わないはずです。

 なにも火をつけたり何かを踏みつけたり、今後千年にわたる謝罪と賠償を請求するような愚かな真似をする必要はありませんが、五嶋みどりさんや諏訪内晶子さんのような素晴らしいヴァイオリニストが数多の名指揮者から指名され演奏してきたことを誇りに、毅然と「莫迦げたDNA話」に反論すべきです。

 そして、イチロー選手や大谷選手が試合後取材に通訳をつけてきた繊細さ、言葉と想いを正しく伝えたいとする思慮深さに敬意を表すべきではないでしょうか。

 わが国でもほとんどの外国人選手が通訳を必要としていますが、そのことを非難した人を私は知りません。母国語を大切にすることもまた、私たちが気にかけてきたことだからです。

 今、私たちの国語をおろそかにしようとする勢力が厳然とわが国の内にいます。英語を公用語にしようとする動き、或いは既に社内を英語で統一させようというような企業の存在です。

 英語は確かに、海外で大変便利な言語であり、私自身の経験からもできないよりできたほうがよいですが、国語も正しく使えないような者が英語を話せたところで中身のない空虚な言葉しか紡ぎだせません。母国の文化一つすらも語れないのですから。

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『大谷選手が通訳つける意味』に1件のコメント

  1. まる:

    遠藤様

    国語がおろそかに・・・で思い出したのですが、これは該当するのか否か判りませんが、
    以前、神戸市だったと思うのですが、市民への説明は外国人にも解る平易な言葉で統一、との記事を見たことがあります。いわゆる多文化共生というものでしょうか。

    うちの大学の国文学科は日本語日本文学科に改称されて、まるで外国人向けの学科名のようで薄っぺらくなりました。国文学科では古臭くて、志願者が集まらないそうです。

    確実に、小学校の国語の教科名が日本語に変わる時が来ますね。

    それから、幼児の時から英語を学ばすのは、どうなんでしょうか?
    近所の方のお孫さんが幼児英語を習っているのですが、助詞の使い方が変で会話がおかしい、とぼやいてました。ちょっと笑ってしまいましたが・・・。