空襲と震災…政治運動化

皇紀2681年(令和3年)3月11日

 本日は、東日本大震災の発生から十年という節目です。奇しくも昨日は東京大空襲(東京大焼殺)から七十六年目であり、思い返せば都内で六十六年目の招魂祭(俗称=慰霊祭)が執り行われた翌日に、あの大地震に襲われたことになります。

 亡くなられた方がた、そして未だ帰らぬ全ての方がたに、改めて衷心よりお悔やみを申し上げます。

 このような言葉が正しいかどうかわかりません。全ての御霊への感謝を申し上げるのが正しいのでしょう。

 米軍による日本人大虐殺は、昭和二十年に入って熾烈を極め、日本各地が焦土化しました。三月十日の未明は、東京で大規模な虐殺が始まったその最初です。浅草区(現在の台東区)や本所区(現在の墨田区)、深川区(現在の江東区)、城東区(現在の江東区)といったいわゆる「下町」で多くの民間人が焼き殺され、日本橋区(現在の中央区)などにもそれは及びました。

 焼夷弾による爆撃のみならず逃げ惑う民間人を狙い撃ちした機銃掃射もやられ、一夜にして死者・行方不明者が十万人を超えた世界最悪の大虐殺(単独の空襲による犠牲者数が世界史上最大)だったのです。

 これを指揮したカーティス・ルメイに対し戦後、勲一等旭日大綬章を授与した佐藤内閣はとんでもない(当時閣僚のどの説明を改めて聞いても)大間違いを犯したのであり、昭和天皇が親授なさらなかったのは当然でした。

 大変悔しいのですが、米軍に賠償を要求することが叶いません。日本政府が賠償するのもおかしな話です。そのおかしなことを目下主導しているのが対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別扇動)活動家たちなのですが、それでは戦争それ自体の非人道性を次世代へ語り継ぐことができません。なぜならそれは、決して政治運動にしてはならないからです。

 まして大地震と津波は、未曽有の自然災害でした。誰に賠償を要求することもできません。無策無能を極めた菅直人内閣の責任を追及したいところですが、東京電力福島第一原子力発電所事故に対するもの以外は限界があるでしょう。

 やはり対日ヘイト活動家たちがこぞって人の弱みにつけ込んでいった「被災者支援」は、本来政治運動ではないはずのことでした。それを反日極左がことごとく悪用したことは、震災の記憶を後世へ正しく伝えることの障害にしかなりません。

 人の命の大切さ、自然に対する畏怖の念を伝え遺すことに、そもそも思想の左右が影響してはならないはずなのに、わが国では左派による思想爆撃が全てを焼け野原にしてしまいます。

 私たちは、こうして生き残った私たちは、亡くなられた方がたの御霊を招魂し、感謝し、命を繋いでいくだけです。戦災と、そして震災の記憶を、次の世代に伝えていくのです。

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『空襲と震災…政治運動化』に2件のコメント

  1. 波那:

    東京大空襲を指揮したカーティス・ルメイは戦後、空自の創設に寄与したか何かで最高位の勲章(名は忘れました)を授与されましたが、陛下御自らのお手渡しされるのを昭和帝は拒否なされました。昭和帝陛下の御心を思い、お偲び致します。

  2. 湘南童子:

     ・・・ 合掌印

    日ノ本の大和の天命が完うされますように
    地球を司る神々様 八百萬の大神たち樣 ありがとうございます