加計、認可保留という忖度

皇紀2677年(平成29年)8月11日

【加計学園問題】加計獣医学部、認可判断保留へ 設置審、文科相答申延期へ

政府の国家戦略特区制度を活用した学校法人加計(かけ)学園(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐり、同学園が来年4月に愛媛県今治市で開学を目指す獣医学部設置の認可申請…

(産経ニュース)

 日本獣医師会らからの妨害に遭い、国内で教員をすべて調達できなかった学校法人加計学園は、海外からも招聘して(ただでさえハードルを上げられていた)開学の条件を完全に満たしていました。

 それでも文部科学省に「今は認可できません」とされてしまうのは、本来であれば不当措置であり、自分たちも一緒になって報道権力や野党とともに創作した「学園問題」で私たち国民の心情を操った結果に対して自ら「忖度」したわけです。

 行政権力の末端で職権をふるうこの連中は、間違いなく政治の決定には従わず、許認可権を盾に省利省益に繋がる業界と癒着し、政治を操ろうと常にしてきたのでしょう。加計学園の話は、それがよく分かる事案です。

 ほかにも例えば、中共人による不動産の買い漁りについて、何度も「他国のように規制を」と求めても、財務省も法務省も国土交通省も一向に動きません。

 わが国の資源を吸い取られ私たち国民が困るようなことになるとしても、一応私たちの提言を聞いて「確かに」とうなずく彼らが結局落ち着く先は、資金流入に伴う徴税強化という目先の旨みを手にすることなのです。

 複数の国会議員が関係省庁に規制案の取りまとめを要望しても、まともに出来上がった試しがありません。極端なことを申せば、緩やかにわが国が中共共産党に乗っ取られても気にならない(そのころには「自分は退官している」からどうでもよい、或いは「彼らはそれほど悪いことを考えない」などと思っている)人たちなのです。

 私は本来、官と民の不毛な対立を煽るような言動に苦言を呈してきましたし、よく話を聞いてくれる官僚もいますから、あまり悪くはいいたくありませんが、民の立場から文科省の前川喜平前事務次官を見るにつけ、まるで蛇蝎の類いにわが国を乗っ取られたような嫌悪感しか覚えません。

 第三次安倍第三次改造内閣という顛末は、私たちが問題視すべき相手をころっと間違えたがゆえのことであり、このまま騙され続けてはいけないのです。

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『加計、認可保留という忖度』に2件のコメント

  1. うっしー:

    そーゆーことだったんですか!私の身近な人も、そのうち北海道が中国の北海道省になってしまうと心配していました。きっと政治家が何か対策してくれるだろうと思っていましたが、どうも期待できないですね。日本がおかしいのはテレビや新聞のせいかと思っていましたが官僚もおかしくなっているようですね。それとも昔からこうなんでしょうか?今回の文科省の一件でも、教育行政を司るトップからしてあれじゃひどすぎます。文科省だけだと思っていましたが、どうやら他の省庁も似たり寄ったりというわけでしょうか?2回目の敗戦がじわじわ近づいているような気がします。将来的には政策決定や法律の作成は人工知能にやらせた方が良かったりして。その時まで日本が日本でいられたらの話ですが。
    国土交通省が動かないのは、大臣が創価学会だからということも関係しているんでしょうか。

  2. きよしこ:

    このまま騙され続けてはいけないという言葉に、先生が抱える一種の焦燥や不安が伝わってきます。
    つまるところ、戦勝国による占領政策と、その最低の置き土産である憲法が我が国とそこに暮らす人々を、際限なく無気力で無責任にしてしまったのだと思います。その結果、官も民も行き着く先が「自分ファースト」になったのです。

    しかし、私たちは無気力で脆弱になったとはいえ、報道機関や野党のような「卑怯者」になったわけではありません。もちろんこちらのブログも含めて、我々が情報を収集し発信する能力を得たため、急落した内閣への支持が野党にまで流れることもなく、また、報道機関の欺瞞も次々と明らかになっています。

    何よりの救いは、もはや真正のクズしかいなくなった野党第一党と、捏造を罪とも思わない報道機関が運命共同体であることです。私は先生ほど現政権や閣僚に対して批判的ではありませんが、報道機関や野党が我が国の癌であることは認識が一致するはずです。果たして私たちは中共共産党が進めるような侵略を、指を咥えて見ているだけの軟弱な民族だったのでしょうか?「いいや、そんなはずではない」と我々が気付き、憲法の問題に真正面から切り込む勇気を持っているという可能性に、私は賭けてみたいと思います。