追及すべきはスバリ文科省

皇紀2677年(平成29年)5月25日

 自民党から旧たちあがれ日本、旧民主党政権で内閣府特命(経済財政政策)担当相などを務めた與謝野馨元衆議院議員が二十四日、亡くなられました。衷心よりお悔やみを申し上げます。

 典型的な「増税・財政再建論者」であり、靖國神社から特定の御霊を分祀するよう論じたりするようなおかしなところがありましたが、本年四月に自民党への復党が認められ、死を前にしてご本人も満足されたでしょう。

 一方、死ぬまで東京拘置所(葛飾区小菅)で生きざるを得なかったのが大道寺将司死刑囚です。殺人・破壊組織「東亜反日武装戦線」の一人として三菱重工業本社ビル(千代田区丸の内)などに爆弾を仕掛け、八人を惨殺、三百七十六人を負傷させた罪で死刑判決が確定していましたが二十四日午前、病死しました。

 同じような「反日」の野党各党は、わが国で破壊活動(テロリズム)など起きないといいますが、私たちが都心でいきなり殺されるテロが頻発したのを意図的になかったことにしているようです。

民進・高井崇志議員も加計学園の学部新設求める

 民進党の高井崇志衆院議員(比例中国)が、学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)が国家戦略特区を活用して愛媛県今治市に獣医学部を新設する計画の実現を求めていたことが分かった。

(YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 さて、二十日記事で指摘したことがようやく新聞社記事になり、民進党の山井和則国会対策委員長の「いつもの思い込み先行」コメントが大いに笑わせてくれるわけですが、二十三日記事で取り上げた文部科学省の前川喜平前事務次官(旧文部系)に関する醜聞を最初に報じたのも讀賣新聞社でした。

 ひょっとすると讀賣は、首相官邸が加計学園の件を前川前次官の責任にしようとしているのを知っているのかもしれません。

 朝日新聞社や民進党、日本共産党に流れた怪文書の類いの出どころは、旧科学技術系の戸谷一夫事務次官らだというのに、それでも前川前次官を斬り捨てるということは、よほど「小松(親次郎審議官)システム」とまでいわれた旧文部系主導の天下り問題が発覚した際、前川前次官の対応が官邸の怒りを買っていたのでしょう。

 前川前次官は、それを察知したのか週刊文春の取材に対して例の怪文書を「本物」と答え、議論の混乱を仕掛けました。獣医学部新設こそ旧文部系主導で認めたにもかかわらず、現在の彼の背後は、一体何者たちでしょうか。

 とにかく加計学園の件は、文科省内の醜悪極まりない主導権争いでしかありません。民進党が何かを疑って追及する相手は、安倍晋三首相ではなく文科省なのです。それが分からないから「駄目野党」のまま党の生涯を終えるのでしょう。

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『追及すべきはスバリ文科省』に3件のコメント

  1. 心配性:

    韓国のメディアも「加計問題」や「森友問題」には大いに関心があるようです。
    東亜日報の石破氏へのインタビュー記事を読んで驚きましたが、ここでも「加計問題」が飛び出しています。

    更に、石破氏が「慰安婦合意見直し」に前向きとも受け取れる発言をした事が報じられ、話題になっているようです。

    東亜日報に書かれている事が事実なら、国益を損ね、容易に「悪手」に乗る信用ならぬ人物という事で「石破総理」の可能性は無くなったのだと思います。

    「消費増税路線」はともかくとして、自民党きっての論客であり、慎重な発言から失言も少なく、軍事に明るく、国民的人気も高いと見られていただけに非常に残念です。

    韓国紙、自民・石破茂氏が「納得得るまで日本は謝罪を」と述べたと報道 本人は「謝罪」否定
    http://www.sankei.com/politics/news/170524/plt1705240032-n1.html
    >石破氏は24日、産経新聞の取材に「『謝罪』という言葉は一切使っていない。『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」と述べ、記事の内容を否定した。ただ、抗議はしない意向という。

  2. 心配性:

    個人的に「テロ等準備罪」に期待するのは何も「テロ防止」だけではありません。

    繰り返し申しますが、「麻薬・覚せい剤密売組織」「オレオレ詐欺グループ」「人身売買組織」「文化財窃盗団」、昨今話題になった「金塊窃盗団」等々こうした犯罪組織の撲滅の方が、より国民にとっては身近で重大な関心事です。

    前途有望な若者や、善良な高齢者が、悪の組織の毒牙にかかり、心身ともにボロボロにやつれたリ、全財産毟り取られる様は、同時に、重大な国益の損失とも言えます。

  3. 無知:

    私の選挙区の「与謝野 馨」元衆議院議員です。
    某区議の活動報告会に出席した折に、応援に来られていたのがお見受けした唯一の機会です。
    是非はともかく、民主の名を借りてでも行いたかったことがあったのは特筆すべきです。