なぜこんなに不安なのか?

皇紀2676年(平成28年)12月31日

 あくまで基督教グレゴリオ暦でのことですが、平成二十八年も本日で最後となりました。本年もさまざまなことがあり、それらを振り返って報道も締めています。まだ何が起こるか分かりませんが、皆さん、よいお年を

 私事を申せば、これまで政府への政策提言が研究所、或いは協会としてのものだったのに対し、本年は、まず事前に勉強会を開き、参加された方がたの問題提起を盛り込んだ政策提言集として主たる国会議員に送付できたことは、大変有意義でした。今後も継続したいと思っています。

 来年は、さらに多くの方がたのご意見を拝聴できるよう、また皆さんのご協力を賜りますよう、よろしくお願いします。

 しかしながら本年も実に多くの才能を失いました。

 まずは、中東各国や欧州各国、南亜・東南亜各国で破壊活動(テロ)の犠牲になった方がた、中共や北朝鮮の圧政に苦しめられた方がた、米国で銃犯罪に遭われた方がた、そして熊本地震や糸魚川大火などで被災された方がたに、改めて衷心よりお悔やみを申し上げます。

 至上のもののように扱われ始めた個人の勝手な思考が細菌やウイルスのように猛威を振るい、米国ではゲイクラブが、わが国では障害者施設が襲撃されました。それは、私たちの身の回りの「クレーム」という小さな現象にも表れており、大量殺戮者を異形の存在として片づけることができません。

 わが国の刑法犯検挙は、警察の不断の努力によりほぼ確実なものとなり、凶悪犯罪が減り続けているのに対し、漠然たる国家の将来に対する不安は、単に経済不安や過熱化した報道がもたらすもののみならず、私たち自身が密かに自覚する「個人の勝手」が拡大していることにより生み出されていると申せましょう。

 私は、あまり宗教行為に興味がありませんが、大晦日の除夜の鐘がうるさいからといって中止(昼間に振り替え)になるようでは、わが国の将来に多くの国民が不安を抱くのも無理はありません。

 つまり、自己の思い通り静かになったことを「よかった」と思うより、「これからどうなってしまうのだろう」と思う人のほうが圧倒的に多いのです。そのくせ、自分は別のことで無理を通して道理を引っ込めさせようとはしていまいか、と。

 これまでの数えきれない多くの命が紡いできたものを、現世の一個人がいとも簡単に破壊してしまえる世の中は、まさにテロが横行する世界そのものです。

 保守派が「伝統」と呼び、反日派がそれを破壊しようとするわが国に、実は「革新」「リベラル」などありません。なくてよいという人がいるかもしれませんが、健全な政策論争がなかなか起きないのは、ここに病巣があると思ってよいでしょう。保守派の言う「伝統」も、怪しいものだったりします。

 私たちは、外国人にわが国のことをどこまで説明できますか? 

 私が海外に出て、或いは海外から人を招いて、最も多くの時間を割くのが国柄の説明です。歴史に詳しくなくても構いません。できることは、わが国での多くの命の営みを思い起こすことです。

 歴史に名を遺した人びとだけが歴史を作ってきたのではありません。私たちに姿の見えぬ先人たちが作ってきたのです。後世に於いて現世の私たちは、一体何と言われることになるでしょうか。

 来年、もし私たちが抱える不安を少しでも払拭できるとするならば、デフレ脱却の経済政策を促し、無秩序な外国からの労働力輸入(いわば「日本の植民地化」)をやめさせることなどを提言するほかに、私たち自身が個人の勝手を見直すことで果たせるかもしれません。

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『なぜこんなに不安なのか?』に4件のコメント

  1. きよしこ:

    今年も一年間、大変多くの勉強をさせていただきました。本当にありがとうございます。

    この一年を振り返ってみての個人的な感想ですが、大晦日の今日になっても全く年末であるという実感がわきません。12月下旬とは思えないほどの温暖な気候が続いたからかもしれませんし、クリスマスにそれらしいことを一切しなかったからかもしれません。陛下の御誕生日に際して玄関に国旗を掲げた時に初めて「もう年末だな」と思ったくらいです。おそらく明日になっても「新年を祝う」気には全くならないでしょう。もしくは旧暦の正月頃(1月28日)になって初めて年が明けたと感じるのかもしれませんが、それで我が国の本来の姿を思い出せるのならば大いに結構なことだと思います。

    とはいえ、例えば佐川急便の配達員による「荷物投げつけ事件」に象徴されるように、ある人にとっての便利が他者の不便を生み出すという、いわば資本主義の病理が一気に表出してくるようになった今、わたしたちは「命の継承」こそが(保守・リベラル、右派・左派の枠を超えて)何よりも重要であることを再確認しなければならないのも事実です。それこそが漠然とした「不安」の正体なのかもしれません。

    一昨日から東京に来ていますが、昨年に比べて明らかに外国人の観光客と労働者が増えています。しかし彼らが日本という国に対して敬意と謙虚さを持っているかと言えば甚だ疑問です。日本語もまともに話せないのに無理して英語を使おうとしたり、あるいは公共施設の看板などでも節操なく中国語や韓国語を羅列して、恥も外聞もなく「おもてなし」にもならない余計なお世話をしようとするのですから当然でしょう。

    グローバリズムを全否定するつもりは毛頭ありませんが、自国に誇りを持てない人間を「世界に通用する人材」として受け入れてくれるほど、世の中は甘くありません。事あるごとに「中国が」「韓国が」「欧米が」などと連呼するメディアは治療不能のレベルにまで落ちていますが、私たち自身が日本人であることと、その民族性や国柄に思いを馳せることができればまだ間に合いますし、それしか命を繋ぐ方法は残されていません。来年の今頃は胸を張って「今年一年ありがとうございました。来年もよろしく、よいお年を!」と言えるような世の中になってほしいと切に願います。

  2. miku:

    デフレ脱却は最優先にやるべきです
    世界一の債権国でありながら国民に不要の負担と未来への希望を奪い続ける安倍政権

    97年に消費増税をして景気が悪化知人の経営者の自殺を目の当たりにした橋本龍太郎氏は
    間違った経済政策について謝罪の言葉を述べて亡くなった

    安倍総理が橋本龍太郎氏の言葉を知らないはずがない

    要するにデフレ時に増税すれば死者が出ることがわかっていて増税したわけです
    自国民虐殺の罪で死刑になってもおかしくない
    その上移民政策でさらなる貧困化を進める有様

    安倍総理はどう考えても売国奴のグローバリストです

  3. SASAKI:

    一年間のご教示、ご提言、有難うございました。

    本年最後に仰せの「個人の勝手」の件ですが、
    街角や公共施設内でスマートフォン画面の見ながら歩きが横行している日常にそれを感じます。

    駅のホーム端であれば、運転手が危険と感じれば急停車→安全確認後、再開、などになり、
    ラッシュアワー時のダイヤ乱れの原因に、傍からするとえらい迷惑です。

    その他の場所でも歩いていて、向かいから歩いてくる人とぶつかりそうになっても、自分は
    避ける必要はなく、相手が避ければ良いだけの事、と思い上がっているのでしょうか。
    普通に歩いている人にとっても邪魔でもあり、高齢者・盲目の方など歩行が自由でない無い人が
    歩いていても、相手が避ければ良いものだと思っているのでしょうかね。
    更に言うと、大人たちにこういう事が蔓延していて、どうして子供世代に道徳・気配りが語れましょうか。

    真性保守といわれる政党から出馬したこともある方に言わせると、そういう言論を世に投げかけても
    票にはならない、との事でした。
    施設管理者などもSNSなどでの炎上も恐れていると。

    駄目なものは駄目、が日常レベルで言えなくなっている現状は、付和雷同大和民族の病理に
    なっているのかもしれません。

  4. あき:

    除夜の鐘ですが
    「日本シネ」と同じ香りがいたします。
    組織的に、外圧に弱い寺院を攻撃しているのではないでしょうか?