麻生大臣の日本人墓地訪問

皇紀2673年(平成25年)1月7日

 東亜の緊張を招く「右翼政治家」などと批判されてきた安倍晋三首相が日韓友好のために派遣した額賀福志郎特使を金浦空港で待ち構えていたのは、自傷騒ぎまで起こす「反日」団体でした。日本特使の訪韓でも要人専用路を使用させず暴力団体を排除しない韓国大統領府の答えは、明らかに「日韓友好の意思なし」「日韓対立利権万歳」です。

 これで自ら友好の手を差し伸べた安倍首相に今後日韓関係悪化の責任はもうなくなりました。私は対中主戦論には現状反対ですが、もし仮にも島根県隠岐郡隠岐の島町竹島を取り返すために韓国を叩かねばならないのなら、米国政府と調整をした上でやってしまえばよいでしょう。もはや今の韓国は「防共の砦」として機能していません。胡散臭い「勝共」の日本人もいい加減に諦めなさい。

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 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130104/asi130104……
 ▲産経新聞:第2次大戦で亡くなった日本人墓地訪問 ミャンマーで麻生氏

 麻生太郎副首相兼財務相は四日、緬国の旧首都蘭貢(現ヤンゴン)にある日本人墓地を訪れましたが、現地では数人の在緬中共人と華僑が麻生副首相の訪問を待ち構えており、到着するやいなや旧日本軍を中傷する罵声を浴びせ、「過去の東南亜侵略に対する反省がない」などとわが国政府を非難しました。

 このことは中共中央テレビ(CCTV)が報じていますが、わが国の現首相や他の現閣僚が先人たちの尊い犠牲を想って参拝することに何の間違いがありましょうか。お墓参りにまで文句を言い出したのか、と。過去をないがしろにし、日本人墓地を目の前にしながら参拝しないほうがどうかしています。

 私たちは、赤紙一枚で出征した多くの先人たちの命を賭した祖国防衛行動を経て存在していることを忘れてはなりません。現行政府が(その存在はまったく完全と言えないが)靖國神社などを無視するということは、すなわち「今後何らかの政策によって国民の生命を犠牲にしても知らぬ顔をする」と言っているのに等しいのです。靖國参拝を拒否する内閣には、むしろ国民が抗議の声を上げるべきなのです。

 緬国建国の歴史は、終盤に連合国が絡んでの紆余曲折はあるものの独立義勇軍の誕生とその後押しをしたわが国あってのものであり、南機関は緬国独立支援の特務機関でした。麻生副首相に「歴史の反省がない」などと非難した在緬中共人らこそ歴史を知らないのであり、そもそも彼らには東南亜諸国を代表したような物言いをする巨大権力でもあるのでしょうか。

 ところで、いわゆる「安倍外交」は政権発足から一ヶ月も経たないうちに早速動き出しました。麻生副首相はこれまでの有償支援返済分の一部に目を瞑り、新たな円借款を約束して「損して得獲れ」を実践しており、緬国の工業団地開発には複数のわが国企業が参入します。

 テイン・セイン大統領との会談の模様を拝見しても、何やら満面の笑みで盛んに会話を楽しんでおり、英国資本の息がかかった緬国市場のわが国企業による開拓は案外難しいと野田前政権下で警告した私もさすがに「欧州にまで『自由と繁栄の弧』構想を持ちかけた麻生外交」の再登場でその声を少し弱めるべきかと判じました。

 緬国現政府は、中共のような道を辿れば自分たちの生き残りが危ういと気づき彼らと離反し、アウン・サン・スー・チー氏を介して英国資本を受け入れましたから、いまだ中共関係企業は多いがもはや中共人の「反日」工作に耳を貸さないでしょう。わが国企業は「安倍=麻生外交」によって経済活動の波に乗りやすくなったと言えるのです。

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『麻生大臣の日本人墓地訪問』に2件のコメント

  1. 吉野の宮司 佐藤 素心:

    同感です・・この記事はナイスです・・・靖國神社などを無視するということは、すなわち「今後何らかの政策によって国民の生命を犠牲にしても知らぬ顔をする」と言っているのに等しいのです。靖國参拝を拒否する内閣には、むしろ国民が抗議の声を上げるべきなのです。

  2. allco:

    スレと外してごめんなさい。茫然自失・・胸騒ぎがします。

    西村眞悟先生の時事通信1月6日号を転載

    仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵、の破壊について No.807 

    平成25年 1月 6日(日)  私が早朝、家の近くの仁徳天皇陵に参拝することは本時事通信でたびたび書いてきた。 …  この度、その仁徳天皇陵が、こともあろうに、宮内庁によって破壊されつつあることを記しておかねばならない。  そのため、まず最初に、天皇陵は、「遺跡」ではなく、現在の我が国の運命に影響を与える歴代天皇の陵墓であることを確認しておかねばならない。  万世一系の天皇を戴いてきた我が国において、今上陛下は百二十五代の天皇であり、天皇陵は天皇の祖先である皇祖の墳墓である。  第百二十四代の昭和天皇は、昭和二十年八月十四日のポツダム宣言受諾による連合国への降伏を決定するに先だって、 各皇族を百二十三代にわたる全ての天皇陵に派遣され皇祖に我が国の初めての降伏やむなきをご報告させられた上で、ポツダム宣言受諾の御聖断を下されたと聞いている。  この一事を以てしても、天皇陵は「遺跡」ではなく、現在の我が国の運命に深く関わっている皇祖の墳墓であることは明らかである。

    そこで、我が郷里である堺市堺区大仙町に所在する第十六代天皇である仁徳天皇百舌鳥耳原中陵であるが、 墳丘を三重の周濠が囲む日本最大の前方後円墳で陵墓域は東西の長さ六百五十六メートル南北の長さ七百九十三メートルであり樹木が生い茂り広大な森となっている。  その陵墓の周囲は、黒いスチール製の柵で囲まれており、南側正面だけが幅二十メートルほど中央の墳丘に向かって開かれており、訪れる人々は、この正面から陵墓域に入って第一の周濠を越えて第二の周濠の手前まで進んで参拝または見学ができるようになっている。  

    私は、いつもここで参拝する。  そして、この参拝域の第一と第二の周濠に挟まれた土手(以下、陵墓内の土手という)の東側には幅五メートル奥行き三メートルほどの木造平屋建ての「宮内庁書陵部古市監区百舌鳥部事務所」(以下、事務所という)が建てられている。  さて、異変は昨年の秋の末より起こされていた。  まず陵墓内の土手の西側と東側の樹木が伐採された。  そして、衆議院総選挙に入る頃より、陵墓内の土手の西側に長さ十メートルほどのプレハブの住宅が建てられた。  さらに総選挙終了後に気付けば、事務所の東側は、幅十メートル長さは周濠に沿って二十メートルほどの鉄板のフェンスで囲まれている。

     また、事務所手前の参拝域には「ご迷惑をおかけします 事務所改築工事を行っています」と大書された看板が設置されその下に小さく 「平成25年3月22日まで 時間帯8:30~17:30 仁徳天皇陵百舌鳥部事務所改築工事 発注者 宮内庁京都事務所 施工者 株式会社 芝松組」 と書かれている。