中共:昔からバカなことを

皇紀2672年(平成24年)5月15日

 http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220514013.html
 ▲テレビ朝日:尖閣巡り石原都知事「政府が現実的なことをやれ」

 第五回日中韓首脳会談の中で、中共の温家宝首相が沖縄県石垣市尖閣諸島について「(中共の)核心的利益だ」と述べたことに対し、東京都の石原慎太郎知事は十四日午前、彼らは「昔から莫迦なことを言っているんですよ。日本人がしっかりしてればいい。政府がもっとてきぱきと現実的なことをやればいい」と反論しました。

 先月末以来、石原知事は尖閣諸島への上陸調査の許可を政府に求めており、わが国の領土として開発、或いは石垣市の仲間均市議会議員が指摘し続けてきた自然環境の復元に乗り出す予定です。

 改めて申しますが、石原知事がいわゆる「尖閣購入構想」を話したのは、占領憲法(日本国憲法)の無効を論じた流れでした。

 また、都が石垣市との共同購入を断ったのは、あくまで都が管理する一つの口座で寄付を集めるためであり、尖閣諸島の行政区が石垣市であることを否定したのではありません。

 その上で、本日は石原知事の発言にある「昔から莫迦なことを」の一例をご紹介しましょう。大抵わが国を含め、どの国も「お恥ずかしい歴史」なるものを抱えていますが、現在の中共にかつてあった清国のわが国に対する国際常識をはるかに逸脱した行動が、義務教育の国史指導要領に盛り込まれていないため、ここに記録しておきます。

 明治十九年八月一日、清国海軍の北洋艦隊四隻が突如長崎港に侵入し、許可を得ないまま上陸した挙げ句、五百人もの水兵が長崎市内の遊郭に乱入、乱暴狼藉の限りを尽くし、長崎県警察に逮捕されたものの、その際の水兵による抵抗で双方八十人以上の死傷者を出したことで、長崎県知事は十四日、清国領事と上陸時の取り決めを互いに協定としてまとめました。

 ところが翌十五日午後、またも三百人の水兵が協定で禁じられた武器を手にして上陸し、交番にわざと放尿、注意した長崎県警巡査の三人に集団で襲い掛かり、うち一人を撲殺したのです。これを見た市民が怒りを禁じえず注意したところ、市民からも負傷者を出す大乱闘に発展するのでした。これが世に言う「長崎事件」です。

 この事件が当時のわが先人たちをどれほど不幸な「反清感情」へと導いたか、想像に難くありません。しかしながら、このころのわが国軍力は清国のそれに劣っていましたから、わが国政府は清国政府の不当な要求を呑まざるをえず、この非常識を極めた清国人の言動にも堪えがたきを堪えた先人たちは、ついに明治二十七年七月の日清戦争開戦を決断するに至り、勝利を収めたのでした。

 私たちは、この先人たちが味わった艱難辛苦から今、何を学べましょうか。先日も記しましたとおり、共産主義の過去の魔の手から本物の憲法(大日本帝国憲法)を取り戻さずして、中共の暴挙を鎮めることなどできません。静かな戦争はもう始まっているのです。

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