岡田茂氏と児玉清氏の死

皇紀2671年(平成23年)5月22日

 9日、東映の岡田茂名誉会長が亡くなられました。改めまして、ご冥福をお祈り申し上げます。岡田氏は、脚本家の登竜門である「城戸賞」として今なお名を残す松竹の城戸四郎氏、東宝の森岩雄氏とともに、邦画界を代表する映画製作者でした。

 岡田氏に関する豪快な逸話は数知れず、東京大学在学中に日本共産党が学友会を支配しようとしたのに抗し、これを阻止したかと思いきや、映画『実録日本共産党』を企画して、共産党に前売券を大量に買わせようとした(結果、共産党があまり購入しなかったために企画倒れになった)こともあったそうです。

 かつてここでも取り上げた映画『山口組三代目』(昭和48年)と、翌年の映画『三代目襲名』を製作したのち、暴力団の資金源になっていると疑われた岡田東映は、兵庫県警察の家宅捜索を受けてしまい、山口組の大口前売券購入が商品法違反であるなどとされ、この嫌がらせまがいに岡田氏は「ムシャクシャして便所で思いついた」と言ったのが映画『県警対組織暴力』でした。

 この傑作で役者開眼したのが川谷拓三氏であり、撮影監督は赤塚滋先生で、怒ると怖い赤塚先生はもう亡くなられましたが、東映京都撮影所の「おもしろ話」を多く聞かせていただいたことを、私は今も懐かしく思い出します。

 「30秒で説明出来ん話は映画にならん」とは、岡田氏のお言葉だったそうですが、これは私たちが脚本のあらすじ(プロット)を説明する時、よく映画監督の中島貞夫先生や鳥居元宏先生に指導されたことです。

 東映はかつて、映画館の立地が他社の直営館に比べて悪かったために苦労したようですが、それでも岡田東映で一時代を築き、今に至っています。銃刀法違反で逮捕され、フジテレビを退社した五社英雄監督を激励して招き、映画『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たち』『吉原炎上』などの傑作を生み出したのも岡田氏でした。

 話は尽きませんが、俳優でテレビ番組『パネルクイズ アタック25』(ABC系列)の司会者として知られた児玉清氏が16日、亡くなられました。本年に入って随分とお痩せになっておられたので、もしやとは思いましたが、本当に残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 児玉氏は、靖國神社参拝問題について、他国(中共と韓国、北朝鮮だけであるが)の干渉を受けることに強い疑問を呈した方でした。

 本日は氏の追悼番組があるそうですが、私は第8回『憲法無効論 公開講座』神奈川大会(主催=錦の御旗けんむの会 会長=佐藤素心吉水神社宮司)にお招きをいただいているため、拝見出来ません。心の中で、あの知的且つ、かつて黒澤明監督を殴ってやろうとまでした熱い何かをも感じさせるお姿を、人知れず思い起こしたいと思います。

 わが国の放送史で『アップダウンクイズ』(小池清氏)『クイズダービー』(大橋巨泉氏)『クイズタイムショック』(田宮二郎氏、山口崇氏)と並ぶ四大クイズ番組で唯一生き残った、その理由は、児玉氏の司会ぶりにあったと申してよいでしょう。これらは、現在放送されている工夫の欠片もない数多のクイズ番組とは比べようもありません。

 フランキー堺(堺正俊)先生が司会をしておられた『霊感ヤマカン第六感』の構成作家は、池田幾三氏や新野新氏ら10人でした。実に10人がかりで番組を作り、主題曲を『アタック25』と同じ山下毅雄氏に作曲させたような意気込みは、予算の困窮からも今のテレビ局にはないのです。

 岡田氏のいない東映はさみしく、児玉氏のいない『アタック25』なんて……と思いますが、このような先人たちから学ぶことは多く、私も大胆でもっと知的でありたい。

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