天皇陛下と菅首相の違い

皇紀2671年(平成23年)4月28日

 http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY201104270471.html
 ▲朝日新聞:両陛下、市街地跡に黙礼 避難所見舞う 宮城

 http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY201104080383.html
 ▲朝日新聞:両陛下、福島・双葉町民を慰問 埼玉の避難所で2時間
 http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY201104140479.html
 ▲朝日新聞:両陛下、被災現場の前で黙礼 初の被災地入り、住民慰問
 http://www.asahi.com/national/update/0422/TKY201104220480.html
 ▲朝日新聞:両陛下が被災した北茨城市を訪問 黙礼 地元の魚味わう

 天皇陛下と皇后陛下は、東日本大震災と福島第1原子力発電所事故の発生以来、私たち全て臣民を励まされ、被災地をまわられ、被災された方々を見舞われ、そして警察官や自衛官、消防士、海上保安官たちの労をねぎらわれました。

 宮中晩餐会に出席する全ての人々のことを覚えられて接されるという両陛下のことは伺ったことがありましたが、今回なんと、両陛下は避難所にいる被災された方々お1人お1人のことを事前に御調べになり、全て御記憶になられた上で御行幸されているのだそうです。

 これはさだめし、全人類の生命の継承と、地球の自然の恵みを祀られる天皇陛下が、自然災害と人災によって失われた多くの生命と自然に、強く御心を痛められてのことでしょう。

 現象の表層だけをすくいあげて得意な類いの自称右翼は、週刊新潮が報じた「両陛下の御前で胡座をかいていた被災者」に怒りをあらわにしたそうですが、その彼らは涅巴爾(ネパール)人だったのであり、彼らの文化では相手への最上級の敬意の表現として胡座をかいて両手を合わせるのであって、被災された彼らも両陛下の御前でそのようにしていました。

 天皇陛下の御行幸に触れ、多くの被災者が感激し、気持ちを奮い立たせるきっかけにした、と朝日新聞でさえ報じていますが、これに変わる御存在などおわさぬことを思い知るべきです。偉そうに「天皇制」を語る方は、代わりにあなたが同じ役割を果たしうるか、訪ね歩いて見ればよいでしょう。

 結果は菅直人首相のようになるに違いありません。被災者を前に、腰に手を当てたまま徘徊するような足取りで歩いてまわるばかりで、彼らを励ますどころか怒らせてしまいました。

 被災者に怒鳴られ、弱々しい声で「そんなつもりじゃなかった」「気づかなかったもんですから」と言ってしまった菅首相は、もはや一国の首相とは言えません。あの様子をメディアに報じさせてしまった福山哲郎官房副長官らも最低です。

 これが、祭祀を司られる天皇陛下の臣民への御心と、個人の政治を叫んできた政治家のやっつけ仕事の、大いなる違いであり、まさしく格の違いであります。

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