「ブランド」の終わり

皇紀2672年(平成24年)9月16日

【コラム】

「高いものは売れない」という「デフレ根性」って言いますかね、
 そういうものがわが国の不景気の正体なんじゃないか、と。

 わが国の経済が巧く回っていた頃は、高級車のみならずファッション分野における欧州のブランド品もよく売れた。ルイ・ヴィトンやプラダ、シャネルやエルメスなどで財布や鞄などを購入することが「きれいなカネの使い道」だったのである。

 ところが、いわゆる「デフレ不況」に陥って購買力が落ちてからというもの、私たちのブランドに対する考え方も変わってしまった。というか買い物に対してシビアになったわけよ。

 まぁ自動車はそもそもわが国の交通法規を無視した「左ハンドル車」なんぞ乗るもんじゃありませんがね、トヨタや日産にありがちな車体デザインのつまらなさから、いまだにフェラーリだポルシェだベントレーだって人はいる。

 宝飾品でも百貨店の外商は今でも売りまくっていて、つまり買う人がいるわけね。特にすごいのが高島屋と西武。昔ながらの名家を顧客にしてきた高島屋と三越は外商で生き残ってきましたが、バイヤーの目利きというかトンデモナイ品でもすぐに製造元から持ってこさせる力はさすがである。

 一方の西武は、こう言っては何ですが「一代成金」をしっかりつかんできた。某ベッド屋さんの社長なんかが外商の持ってきた品の、しかも二億や三億のものをポンポン買っていく。店頭販売が駄目でもこうして百貨店は稼いできた、と。百貨店ってのはもうほとんど内需依存ですから、ここの業態を調査するとわが国で起きていることの一端がよく見えるわけね。

 そんな西武こそが主要な海外ブランドの日本代理店となった先駆けで、もう昭和五十年代の西武の広告なんぞ、そりゃ尖ってましたよ。私は大学の専攻が映像広告だったおかげで、この頃のコピーライトやグラフィックデザインは一通り目を通してきましたが、見る人にちゃんとイメージを与えている。

 ブランドの語源こそ「他との差別化」であり「希少性」の記号だったので、そのイメージこそがブランドの支えであり、ブランド品は高級感のあるショップで買うものだった。いろんな百貨店が店舗面積を埋めるために入居させるようになって、売れなくなり始めるまではね……。

 ヴィトンやプラダがこちらの購買意欲をそそらなくなったのは、世界各国で売れるからといって大量生産を始めたからだ。あちこちにショップがあって、店員たちも感じはよい。でもね、私が最も行きたくないブランドショップは、実はエルメス。

 なぜかって? エルメスは売れに売れても絶対に職人による手作りを壊さなかったから、欲しけりゃ待て、と。そもそもそれ以前に私なんぞが店に入ろうとすると「場違いだから帰れ」とでも言わんばかりの店員の態度ね。あれ、パリの本店はもっときつい。

 しかしこれがブランドのイメージを守り、ブランドそのものを守ってきた。だからバーキンの新作は半年待ちでも買う人が絶えない。エルメスの経営方針は見上げたものです。目下のわが国を覆った「高いものは売れない」という「デフレ根性」って言いますかね、買う側より売る側のそういうものがわが国の不景気の正体なんじゃないか、と。エルメスを見ていると、フランス人がよく言う「私たちがよいと思うものは世界中がよいと思うに決まっている」という自立した誇りそのものを感じる。

 安価なファストファッションの需要はまた別にあるとしても、労働者を安い賃金で働かせ、大量生産して国境を無視していくという新自由主義が最後に笑うなんてとても思えない。むしろ彼らは自ら経済規模を縮めて自滅していくだろう。エルメスはその逆の好例だ。

 文=遠藤健太郎 (真正保守政策研究所代表 大阪芸術大学元副手)

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『「ブランド」の終わり』に1件のコメント

  1. allco:

    今度の騒乱でユニクロは暴徒を恐れて、尖閣は中共のものだいう看板を出した。嘲笑されてるよ。

    ユニクロは山口県なのだが、1号店は広島市袋町店。
    紆余曲折を「すり抜け」今の「勘違い」ブランドに
    成長した。

    支那での対応に不思議はない。

    これ程までに成長した癖に、お涙戦略1号店を
    閉じてるからだ。
    破綻したなら未だしも、柳井の偽善は昔からだ。
    大金持ちでも、尊敬されない。
    孫とそっくり。