ご先祖の御霊を招魂

皇紀2672年(平成24年)8月12日

【コラム】

神道って武士道とかと同じ「道」なわけで
 ご先祖の御霊を招魂すればパァーっと考え方変わっちゃいますよ。

 えー、お盆といいますと、お坊さんがお経を唱えてお墓参りをして、という具合に仏教行事だと断じてしまいがちでありますが、仏教の教義だけでは説明できないことも実は多いのです。

 いえいえ、難しい話はいたしません。だって自分のご先祖様の御霊を招魂するという簡単な話ですからね。で、これが何で簡単な話なのかというと、自分の存在を認めようとすることは本能だからです。ご先祖様がいなけりゃ自分もいない。

 昔は茄子や胡瓜に木串を刺して動物の形にし御霊を招いたりしましたが、今でもやっているお家はありますかね。あれは何かって言うと、ご先祖様に乗っていただくお馬さんなわけよ。あの世とこの世の乗り物というわけ。まぁ地方によってさまざまな招魂のやりかたがあるようです。

 この招魂というのは神道ですから、宗教ではなくて武士道なんかと同じ人の「道」なのね。それが江戸時代に外から邪教が入るのを防ぐ国家防衛の一策として寺請制度が設けられましたから、そこで神道の招魂と「盂蘭盆(うらぼん)」が習合しちゃった、と。

 人は皆等しくお父さんとお母さんがおり、そうやってさかのぼれば自分ひとりの存在のために一億人以上もの人間が生きてきたことを証明します。決して親に育てられることのなかった人にも、これはまさしく平等に同じです。

 だからつい両親に育てられなかったことを恨んだり、或いは自分の存在を「どうでもよいもの」と捉えたりしたくなる人を見かけるし、塾の先生として私も何人かそういう生徒を抱えたことがありましたが、神道は「道」の一つだから、こういうことを教えてやらんといかんのですよ。思春期のころなんて素直には聞かないけれど、知ってるだけでのちのち考え方がパァーっと変わりますよ。

 文=遠藤健太郎 (真正保守政策研究所代表)

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『ご先祖の御霊を招魂』に3件のコメント

  1. 素浪人:

    久々にコメントします。

    よく、お盆になると会社の夏休み等を使って海外に出掛ける人が居ますが、この人達の家っていうのはどういうものなのか?と考えてしまいます。要するに、ご先祖参りしないで海外に行く、ということですから、小生の言葉で言えば、これ程先祖不孝な行為もありません。バチ当たりですね。無論、仕事の都合などでお盆期間中に帰省出来ない人達は上の人達と同じではありません。

    先祖の供養はお盆に限定されませんが、さりとて在日の外国人でもなければ、この時期には普通に先祖供養するのが当り前です。これは宗教とか以前の、日本人のたしなみですから、信教の自由云々を言う人の説明は言い訳に過ぎないと思います。

    シナの古典、菜根譚にもこう書いてあります。『先祖が残してくれた恩恵とは、現在自分が享受しているものである。…中略…子孫が得る福祉とは、現在我が身が残そうとしているものである』。お盆に実家に帰らない人(上記にも述べた、帰れない人は含みません)、旅行に行く人は、自分が現世にご先祖様のお陰で生かされているという自覚が無いのではないでしょうか。

  2. allco:

    大切なご先祖様を消去しようと、法務省が戸籍を簡素にするらしいと
    聞きました。日本の戸籍制度は宝です。皆様も是非謄本をとりじっくり
    見て下さい。
    凄いですよ。
    靖国神社に祀られる御霊も妻も、又その大昔もそのまま残ります。
    手書き時代の役人さんの字。そのまま残って居ます。

    私は遡れるだけ遡り、非常避難バックに命名書と共に入れて居ます。
    戸籍を訪ねる小旅行も良いですよ。

  3. naga:

    ふだんの時事ニュースについて論じているのもいいですが、こういうコラム形式だと読みやすいのがさらに良いと思っています。今後も気が向いたらでかまいませんのでぜひお願いします。