十八代目中村勘三郎さんへ

皇紀2672年(平成24年)12月6日

【コラム】

そもそも歌舞伎は「既成の破壊」だった、
 と最も理解し実践したのが中村勘三郎さん。

 歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎さんが十二月五日、亡くなられました。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。早かったとか、もっと見たかったとか、私は絶対に言わない。何だかそういうことを一番悔しがりそうな方だったとお見受けするから。

 亡くなる三日前の月曜日、実は或る方から勘三郎さんがもう駄目らしい、と聞いた。繰り返した転院がよくなかったのかもしれない。それでも、復帰を望んできた大勢の者の一人とすれば、この瞬間に絶望的な気分を味わわされた。

 私が初めて歌舞伎を見たのは高校生の頃である。松嶋屋の五代目片岡我當さんらによる『鳴神』という演目だった。古典芸能なんぞ、定めしつまらぬものに違いないと決め込んでいた当時の私は、鑑賞を終えて「これほど面白いものはない」とハタと膝を打ったものだ。

 しかし、歌舞伎界を「梨園」なんぞと重宝する傾向には与さない。歌舞伎というのは庶民の芸能だったはずだ。そもそも「既成の破壊」から誕生したのが歌舞伎だ、と最も理解し実践したのが現代の勘三郎さんだったと思う。あの「コクーン歌舞伎」も「平成中村座」も米国公演も、その心意気が国境を越えてまで観る者を圧倒したのだ。

 だから勘三郎さんは古典を壊したのではない。あくまで歌舞伎本来の伝統を祖先から相続し、絶やさぬようご子息の六代目勘九郎さんと二代目七之助さんへ継承させたのだ。これがどれほど大変なことであったかは、私たちの想像なんぞ追いつくまい。いや、追いつく間もなく勘三郎さんは常に疾走しておられた。

 最後に本音を言う。私は勘三郎さんのお芝居が大好きでした。宮藤官九郎さんが初めて監督に挑んだ映画『真夜中の弥次さん喜多さん』にしても出鱈目なアーサー王、というよりただの「とろろ汁屋」さんね、まぁそういう役を演じられたんだけど、いきなり「夜でもアーサー(朝)」と叫んでベタにご登場。しかし、もはや映画の中でも発声が他の役者さんとは違うのである。腹の底からこれをやられると面白可笑しくてしょうがない。

 歌舞伎の舞台ではまずやらないお客さんの掛け声に反応するといったことや、私たちが『法界坊』と親しんだ『隅田川続俤(ごにちのおもかげ)』の演目でもちょっとした即興に違いない言い回しが大爆笑のうちに私たちを唸らせた。十八代目の、歌舞伎の本流を復原された偉業はもはや永遠のものだ。本当に心からお礼を言いたいのです。

 文=遠藤健太郎 (真正保守政策研究所代表)

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『十八代目中村勘三郎さんへ』に1件のコメント

  1. 五奈実屋:

    TVを通じて、庶民的であった、という点で印象に残る方でした。
    新橋に近い車の往来の激しい幹線道路のグリーンベルト付近で、タクシーを拾う姿をお見かけしたことがあり、おや、と思いました。
    タクシーを呼んで待たせる、というやり方をなさらない。

    アドリブ的なことを日々大切になさるというようなことを、そのお姿から拝察することができたのです。

    地味な地方の金比羅座(?)の復興に力を注がれたというようなニュースを通じて、ご自分の立場をフルに「活用」することをご存知だった、ということ。
    常に庶民の場にご自分を置かれる、その点からも親しみを感じたことがありました。

    残念ですが、歌舞伎の舞台で拝見したことはありませんでした。
    素晴らしい記事をありがとうございました。